teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

第2回

アートプロジェクトで789(なやむ)
第2回 アートの現場での労働環境とキャリア形成についての悩み

相馬千秋(アートプロデューサー)
2016年02月22日更新

アート・プロジェクトが抱える諸問題をシェアしながら、それらをひとつずつ紐解いていく連続トークショー「アートプロジェクトで789(なやむ)」。第2回目のゲストはアートプロデューサーの相馬千秋さん。相馬さんは国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」初代プログラム・ディレクター(2009-2013年)をつとめ、都市空間における演劇の可能性をさまざまなかたちで提示してこられた方。数多くの現場で培った経験や知識、そして女性としてアートや演劇の世界とどう関わっていくべきかなど、いま日本で最も輝く女性アートプロデューサーの一人である相馬さんにお話をうかがいます。

パブリックとプライヴェート、インスティテューションとインディペンデント

小川
第2回目にお招きしたのは、演劇祭などのアートプロデューサーとして活躍される相馬千秋さんです。この「アートプロジェクトで789(なやむ)」では、事前にゲストのみなさんが抱えている悩みを伺っていて、相馬さんからは「アートの現場での労働環境とキャリア形成」というテーマをいただきました。
相馬
相馬と申します。小川さんとは長い付き合いで、はじめて会ったのは2004年です。当時、私は「にしすがも創造舎」という、東京・西巣鴨にある廃校を利用した学校を運営するNPOのスタッフでした。そこに、当時まだ学生だった小川さんが、創造舎全館を使った展覧会企画を持ち込まれたんです。
小川
第3回目の「Ongoing」ですね。
相馬
ちょうど10年前に小川さんが、個人の強い想いで仲間たちと一緒に立ち上げた展覧会を目撃していて、それが現在の吉祥寺のArt Center Ongoingや、中央線沿線を繋ぐプロジェクト「TERATOTERA」に発展しているのは感慨深いものがあります。
小川
懐かしいです(笑)。
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相馬
自己紹介がてら、今日のお題を選んだ理由を話していきたいと思います。私は2009年から13年まで国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」のディレクターをやっていて、その前は横浜にある「急な坂スタジオ」という演劇・ダンスなどの制作拠点の立ち上げ・ディレクションを2006年からの約4年間担当していました。この十数年間、身体表現に関わる仕事をしてきて、いろいろな課題を感じてきましたが、特に日本で芸術表現をやっていくことの難しさとして、「パブリック」と「プライヴェート」、「インスティテューション」と「インディペンデント」の関係性の未熟さを痛感しています。
インスティテューションというのは英語で「施設」とか「制度」という意味ですが、文化セクターでは主に公的な機関が設立する文化施設や制度を意味します。それに対して、インディペンデントとは、まさに小川さんと「Ongoing」のような独立した自由な存在。何かに依存していない……ようするに、誰かに頼まれてやっているのではなく、自分自身が、あるミッション・目的を掲げて、それに向かってアクションを起こしている存在です。
日本ではこの2つのあいだに対立的な分断線があるように感じます。そもそもアートというものは基本的にすべてインディペンデントなものだと私は考えています。少なくともアーティストは誰に頼まれてやっているわけではなく、自分の衝動や思想に突き動かされて表現をしている。つまり芸術表現は根本的に個人に立脚したプライヴェートでインディペンデントなものであって、それを公共の枠組みで運営されている施設(インスティテューション)の内部で展開しようとすれば、何かしらの衝突や考え方の違いが起こることもありうるわけです。この2つのあいだの行き来がもっとスムースになれば、さまざまな環境がもう少し改善されていくのではないかと私は考えています。
私は、数年前から文化庁の文化審議会・文化政策部会に委員の一人として参加していまして、2020年の東京オリンピック、そしてそれ以後の文化政策がどうあるべきかについて、何度か意見を提出しています。今日は、そのなかから人材育成とキャリア形成にフォーカスを当てて、みなさんと考えていきたいと思っています。
小川
よろしくお願いします。
相馬
現在、日本全国のあらゆる場所でアートプロジェクトが実践されていて、人材育成のプログラムも同時並行で走っています。この背景には数年前に文化庁が取りまとめた第2次~第3次基本答申において、人材育成がプライオリティーの高い政策課題として掲げられているということがあります。ここ10年でプロジェクトは増え、そこに関わるスタッフやボランティアも増加しました。しかし、こうしたアートの現場で長期的なキャリアを描ける雇用が成立しているかというと、ほとんど実現していません。現場だけがとりあえず増えていて、安定した労働環境と就労ポストは整っていない。今、私が一番言いたいのは、20~30代の若い人材が単に育成されるだけの現在の状況から次のフェーズである雇用の創出に向かうべきだということ。そして、そのために何ができるかを考えなければ、ということです。
舞台芸術の分野では、ON-PAM(舞台芸術制作者オープンネットワーク)というネットワークがあり、シンポジウムや研究会を精力的に行っています。「文化政策ラボ」という委員会では、2014年9月に雇用問題を議題にしていますが、こういったアドボカシー(政策提言)を目指した動きもスタートしています。
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小川
ON-PAMの動きや、相馬さんが文化審議会に意見を提案することで、雇用の機会を増やすよう国の方針が変わっていく可能性はあるのでしょうか。
相馬
そこが非常に難しいところで、文化審議会は政策決定機関ではないんですよ。専門家の意見を求めるための諮問機関で、たとえば私は比較的若い女性の専門家というジェンダーバランス的な理由で入れてもらっているんだと思いますが、そこで提案したことが次の年の政策課題になって実現される保証はどこにもありません。現状では文化庁が次年度の予算をたてる際の、財務省に示す根拠を示す役割という性質が強い。文化庁の予算は頭打ちで、飛躍的に増えることもまずありませんから、よほどプライオリティーが高くなければ新規政策に紐付いた事業が具体的に立ち上がるのは難しい。ただ、文化庁という国家の文化政策の窓口に対して、文化の担い手の現場が意見や課題を言いつづけるのは当然のことで、さまざまなネットワークを駆使してやりつづける必要があります。

アートプロジェクトにおける「ワークシェア」とは

小川
「TERATOTERA」のボランティアスタッフからもよく相談されるのが、「どうやったらアートで食べていけますか?」ということなんです。僕は武蔵野美術大学の芸術文化学科でアートプロデュースの授業を受け持っていますが、そこでも同様の悩みがあって、4年間勉強をしてきたものの、就職口がないので一般企業に入ったり、自分が持っているスキルや教養とはまったく違うことをやらざるをえない、人は育ったけれどその先がない、という現実があります。
相馬
雇用に関して、2つの問題があります。現場が増えても雇用に結びつかないこと。そして運よく雇用されたとしても、組織のなかでのキャリアアップが難しいということです。これらを解決する具体的なアイデアはなかなか思い浮かばないのですが、改善のためのヒントはあるように思っています。
現在、日本の芸術文化と政策の結びつきは、サブカルチャーや伝統文化を海外に売り出して外貨を稼ぐクールジャパン政策、それからマーケットには乗りづらいアートを海外に発信していく文化外交政策、そして越後妻有アートトリエンナーレに代表される地方のアートプロジェクトで観光客を誘致し、地域を活性化するアート観光政策、この3つに大別されます。特に3番目のアート観光政策はみなさんにも馴染み深いものだと思いますが、今後の将来性はなかなか厳しいと私は思っています。たとえば「瀬戸内国際芸術祭に80万人入りました」とか「あいちトレエンナーレに50万人入りました」と言っていますが、今後お客さんの数を無限に拡大できるとは思えません。
小川
そうですね。
相馬
そう考えると、むしろアートを作る側の働き方を変えることで、違う扉を開いていくのも1つの方法ではないかと思います。たとえば、ワークシェア。時間があって、モチベーションの高い若い人材はたくさんいるので、そういう人たちに機会を与えていくために、限られたポストをシェアしていく。
小川
仕事が集中している人たちの仕事をシェアしていくということですね。でも既にポストのある人たちにとっても、自分が今まで築き上げたものを若い世代に引き渡すのは不安ではないでしょうか。
相馬
可能、不可能で考えるとほとんどのことは不可能になってしまいますからね。ワークシェアを可能にするには、単純に人件費を1.5倍くらいにして、一つのポストに2人配置するとか、あるいはポストを分けてみる。ディレクター1人のポストがたとえば年収が500万円だとすると、共同ディレクター制にして250万円ずつにする。もちろん、「そもそも1人分だってきちんと払われてないのに、何を言ってるんだ!」と思われる方もいると思いますが、そのくらいやってもヨーロッパの雇用制度には全然追い付かない。極端な例ですが、ドイツの人口10万人以上の街には、ほとんど公立劇場があり、そこが地域における雇用創出マシーンになっている。先日、仕事でダルムシュタットという人口16万人の街の公立劇場に行きました。その劇場、物理的にも原発のように巨大なんですね。オペラハウスと演劇専用のホールがあり、巨大な稽古場や舞台美術のアトリエもあって、劇場はスタッフや俳優含め300人以上を雇っている。
小川
すごいですね。
相馬
これだけのスタッフが劇場運営に必要かどうかなんて議論しない。たとえば街に図書館があって図書館の職員がいる、小学校があって小学校の先生がいる、というのと同じ感じで、劇場があってその大きさに見合ったスタッフがいるんです。そうやって雇用を作ってる。アートが雇用の受け皿になるべきだとは言いませんが、少なくとも、今の日本で1人で3人分くらい働いてヒーヒー言っている状況は、ためらいなく変えるべきだと私は思います。だから小川さんのポストにあと3人くらいいてもいいと思いますよ、もちろん給料を下げず(笑)。
小川
最初にインスティテューションとインディペンデントの話が出ましたが、施設/制度(インスティテューション)の構造を変えるには、どういうやり方があると思いますか?
相馬
フランス人の友人で、横浜の日仏学院(現在のアンスティテュ・フランセ)の院長だったレベッカ・リーさんという方がいます。日本で言えば国際交流基金の支局長みたいなポストで、国を代表する文化機関の要職ですね。レベッカさんの前職はジェローム・ベルというアーティストのプロデューサーでした。つまり、インディペンデントの現場で、1人のアーティストの世界観を体現するためにプロデュース能力を身につけた人が、フランスの文化省が公募した横浜のポストに選ばれて着任することだってある。さらに興味深いのは日仏学院院長の任期を終えて、彼女はまたジェローム・ベルのプロデューサーに戻ったということです。
つまり、インディペンデントとインスティテューションのあいだを行き来できる可能性があることが、フランスやヨーロッパの文化業界の成熟を表わしているように思います。日本の場合、劇団やアーティストの制作をやった人が、劇場に入る場合はあります。でも入ったら入ったで、劇場の出世スゴロクのなかでがんばるしかないという、一方向のキャリア構成なんですね。一度インスティテューションの内部に入ってしまえば、今度はそのなかの巨大なヒエラルキーに従わざるをえず、インディペンデントな動きができなくなる。日本にはインディペンデントかインスティテューションかを選べと言われているような息苦しさがあると感じていて、それをもう少し流動化させたいんです。インディペンデントやインスティテューションのなかに入っても、横の移動も、垂直の動きも、身軽に出来るような制度やその際に生じるリスクを軽減できるような仕組みがあったら、さっきから言ってる課題が解決できるんじゃないのかな、と。

「経営」「ジェンダー」、次のフェーズでやるべきこと

小川
僕はインディペンデントで「Art Center Ongoing」をやっていますが、どうにもそこから出られない。僕としては、たとえばアジアを転々とめぐってネットワークを作りたいっていう願望があるんですけど、それをやったら自分の場所が一瞬で潰れちゃう。人からは「弟子を育てて誰か任せられるようにしなよ」と言われるけれど、なかなかそうはいかないんですよね。
相馬
小川さんの事業モデルって、小さいけど長く続く、現実的な事業モデルだと思うんですね。だけど、小川さんしか知らないノウハウや個人の思いで支えられているから、他の人に任せようとしてもなかなか引き継げない。日本には非常に先駆的なアートNPOなど、インディペンデントな組織があって、それらを運営しているアートマネジメント第1世代のみなさんには強いカリスマ性や特殊な能力があります。でも、彼/彼女らが築いたネットワークを次の世代に引き継ぐことが果たしてできるのかどうか。
小川
自分もすごく悩んでます。
相馬
彼らは現場からの叩き上げだから、経営の才能もあって生き残ってきた。でもそういったものを次に引き継げないのがインディペンデントの難しさだと思います。キュレーションや、アーティストと一緒に作品を作ることは、経営する能力とまったく違う。でも、これまでその違いが意識化されずに、全部が一緒くたにされてきたんです。だから、次のフェーズに必要なのは語弊を恐れずに言えば「経営」だと思います。
小川
美大や芸大でも、経営について全然教えないです。「キュレーションとは何か?」ばかりやるけれど、結局何にも使えず、使う場所もないまま終わっちゃう。一方、インドネシアやフィリピンのインディペンデントなアートスペースを見ると、最初に作った人は僕と同じくらいの年齢で、今では20代の人たちに引き継いできちんと運営していて、すごいと思います。相馬さんはアジアを意識されますか?
相馬
自分が留学したのがヨーロッパだったので、舞台芸術のマーケットとサーキットが存在し、その一つの創造と普及のモデルとしてフェスティヴァルがあるというヨーロッパのモデルを参照しました。そして、そのモデルを日本の状況にも同期させようとしたのが「フェスティバル/トーキョー」でした。ただ、そこにはヨーロッパのやり方をそのまま持ってくることの限界もありました。
日本やアジアでは、単純にモデルを持ってくるだけでは難しいという実感があります。インスティテューションとインディペンデントを自由に行き来できる風通しのよさがヨーロッパにはありますが、アジアはその2つが対立していることが多いわけです。たとえば中国では、中国共産党監視下の文化施設で働くか、完全なインディペンデントで体制と闘うか、どっちか選べと言われちゃう、みたいな(笑)。でも実際にはダブルフェイスというか、二枚舌を使うように生き残っていく方法が一番現実的だったりする。ヨーロッパと比較しアジアの民主主義は未成熟ですから、インスティテューションのなかでインディペンデントな動きを体現できたとしても、政局が変わるとそれまでの成果がゼロに戻っちゃうんですね。であれば、ある時は「インディペンデントです」と言い、韓国のように国をあげて文化政策やっている場所では「私もインスティテューションの一員ですよ」みたいな顔をしてやるとかね(笑)。アジアでは、それくらいの強さ、したたかさを持ってやっていくしかないな、と最近は感じています。
小川
たしかに、これまで知り合った人たちは自分のスペースを持ちつつ、国の仕事もしているタイプの人が多かった気がします。
相馬
ヨーロッパと違って、アジアはどちらかだけでは詰まってしまう。巧みに両方の顔も持ちながら、スルリスルリとやっていくのが、しぶとく生き残る作戦なのかもしれませんね。
小川
ちょっと話題を変えましょうか。「TERATOTERA」のスタッフからも質問にあがっていたのですが、相馬さんは、女性としてアートの世界で働くことの難しさを感じますか。
相馬
もちろん日本のアート界も他の日本社会同様、結局男性優位でホモソーシャルな側面が強いですから、一般的に女性は不利だと思います。現場スタッフは女性ばかりなのに、意思決定の地位にはおじさんしかいない、みたいな。個人的にもその文句は死ぬほどたくさんありますけれども、言っても仕方がないですね(苦笑)。ただ、現在の文化行政はあらゆることが2020年のオリンピックという時限爆弾みたいなもので区切られています。もちろん善し悪しありますが、一つの区切りができたことで、さまざまなことが加速していく面もある思います。現政権は「女性の力を活用する」なんてことを声高に言ってますから、私たちは「それも利用するんだ」くらいの気合いでやったほうがいいと思うんですよね。アート業界においても、その機運を利用して権利をはっきりと主張していくムードを作りたいです。
とはいえ、アート業界はすごく狭いから、難しいことも多い。たとえば「小川さんにセクハラされたんです!」とか告発したとして……もちろん冗談ですよ(笑)。告発した側が被るダメージのほうが多いこともある。女性やいろんなマイノリティの人たちが自分が受けた扱いを正面切って言えないというのは、半分はそれによって自分も傷つく、人間関係が壊れる、今後仕事がしづらくなることへの恐怖でしょう。アート界は世界が狭すぎて、そういう恐怖心がすごく大きいんじゃないかと思います。なので、言えない人たちに、どういう風穴を開くか、回路を作れるかっていうのが課題だと思います。
小川
結婚や出産に関してはいかがでしょう。子どもを持つと、今までのように制作が自由にできなくなるかもしれないと悩む女性作家は多くいますし、制作サイドの女性も同じ悩みを持っていると思います。
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相馬
愚痴はいくらでも言えます(笑)。たとえば仕事をできる時間は激減しますよね。ただそれは別にアートに限らず、すべての働く女性、そして女性のみならず働く親が直面している現実ですから、私はそのこと自体をあんまり特殊化しても仕方ないと思っています。これも日本社会全体の問題なので、制度そのものを変える方向に持っていかない限り難しいでしょう。具体的にどうしていいかというのはまだよくわからないのですが、さっき申し上げたように、何かしら社会全体に作用する保障制度を作って強制的にでも流れを変える方向でないと難しいのではないか。
たとえば、劇場で働いている女性が出産育児で休んだとしても3年後には必ず同じポストに戻れると保証する。そして、もし雇用側がそれに背いた場合は勧告を受けるようにするとか。私のまわりによくある例なんですが、1年間産休を取って、最初は劇場に戻れるんです。でもその数か月後に人事異動の辞令が出て、専門性を求められない管理系の部署や施設に転任させられてしまう。そういうイヤな話は吐いて捨てるほどあるわけですよ。そういう不条理に対して、国の政策の後ろ盾を持って、自然と世間が厳しい目を向けるような仕組みにしていくことは必要だと思います。実際、そういう被害を被っても大抵の人は黙るんですよね。業界が非常に狭いから、そこで声をあげるとますます仕事が来なくなるっていう、非常に不健康な状況になっている。そういった業界の体質に対して、第三者機関の視点がしっかり存在して、何かしらの効力を発揮していかないと、そもそも問題を顕在化すること自体が難しいのではないでしょうか。
小川
大学の学生は9割5分が女性で、「TERATOTERA」も関わっている人の9割が女性です。これだけ女性がアートに関心を持っている状況であるにもかかわらず、女性に対して不利な状況がずっと続いているというのは、やっぱり今ある程度の影響力を持っている男性たちの良心に期待するしかない。おじさま方も強いですからね、なかなかポストから降りないとは思いますが(苦笑)。
相馬
次のフェーズを作っていかなくちゃいけないと思います。2020年が当面の大きな課題ですが、問題はその先。オリンピックが終わった後の20年も30年先まで生きていかなくちゃいけないというのに、一瞬の打ち上げ花火のカタルシスに酔って終わってはまずいです。その後の人生の計画を立てようよということが、2020年までにわれわれに課された重大事であって、そのためのロードマップ作りにわれわれ若い世代も参加できるように声をあげる。そうでないと、畑が耕されないまま一瞬の打ち上げ花火で終わって、その後は不毛の大地になってしまう可能性が大きいと思います。

中途半端な存在として社会にコミットしたい

小川
アートに対する相馬さんのやり甲斐やモチベーションはどこから湧いてくるんでしょうか。今日のお話を伺っていると、非常に俯瞰的に全体を見ている人だという印象を受けました。それは、現在の演劇の世界にやりづらさがあるから、それを改革していきたいという強い意志の表われでしょうか。
相馬
もし本当に社会変革を目指すなら、政治家になったほうがいいと思うんです。でも自分にはそんな能力がない、やっても長続きしないと思うんですよね。自分にできることと言えばアートぐらいなのでそれをやっている、というのが実情です。私たちは、イデオロギーを実現するために闘争するという世代ではないじゃないですか。生まれた時に日本はそれなりに豊かで、闘わずに生きていける社会に生まれた幸運をなんとなくだらだら引き延ばしている、そんな世代だと思います。崇高な理念があってそれを体現するためにアートをやっているというのではない。
けれども、もっと普通の感覚、たとえば「戦争は嫌だね」とか「小川さんとケンカしたくないよね」とか、あたりまえだけど実現するのは意外と難しいことをどういうふうに実現し持続していけるか、そこにリアリティを持って活動をしている。私は、革命を起こそうともラディカルには考えられない非常に中途半端な存在です。でも、だからこそアートという非常に中途半端で曖昧で両義的な手法を通じて社会にコミットしていきたいと思う。
こういう仕事をしていると、よく「アートは社会を変えられますか」と聞かれたり、「変えられると思っているから、アートを仕事にしてらっしゃるんですね」と言われたりするんですが、私はアートに過度な期待はしていません。小川さんはどうですか。
小川
まったく期待してないですよ。
相馬
しかし「アートが社会で役に立たない」ということを言っていても仕方ない。であれば、アートに潜在している途方もない力……目の前の社会を変える力じゃなくて、遠い未来と結びつく力とか、過去を呼び出す力とか、ちょっと魔術的とも言える読み替えをしてみることで、アートを現代社会の隙間に差し挿んでいく。それはすごくマージナルなことだと思います。けっしてメインストリームにはならないけれど、それによってある種のフレームで社会の諸要素を可視化したり、全然違うものとつなげていったり。私はそういうことをしたいと思っています。
小川
特定秘密保護法や集団的自衛権の問題に見られる大きな社会の変革に対して、アーティストが政治的なことを無視して作品を作っていていいのか、という議論があったりしますよね。僕はアーティストだったら絶対に政治と絡めて表現しなければいけない、とは思っていません。ただ、アジアのアーティストと会うと、アジアの国々には自由な表現ができないという前提があるところもありますから、不可避的に政治問題と密接に絡みついている。ひょっとすると日本も次第にそうなっていってしまうのかなと思ったりしています。演劇にも似たような動きは感じますか。
相馬
2014年に鷹野隆大さんという写真家の作品が愛知県美術館で展示された際に、男性器が写っている写真に対して「公然わいせつではないか」という一般市民からの通報があって大きな問題になりましたね。通報を受けた愛知県警が美術館に見にいって「公然わいせつにあたる可能性があるので、撤去すべし」と美術館側に要請を出した。それに対して作家は撤去には応じられないので、局部を布で覆うというある種の演出を施して展示は続行されました。これって違法だと思いますか。合法だと思いますか。
小川
展示することがですか? 僕は違法だと思わないです。
相馬
普通は思わないじゃないですか。でも、現行の制度で言うと違法になる可能性がある。わいせつ物を展示したり、流布させることに対して、犯罪性を認めるというのが刑法における「公然わいせつ罪」です。個人的には、アート作品に対してもそれが同じ理屈が適応されていいとは思いません。
しかし、今は美術館のなかで行なわれていること、あるいは劇場のなかで行なわれていることを特殊化して擁護するための法律や条例がないんですよね。もしも芸術性や芸術の実験性が公然わいせつを取り締まる法律よりも上位であるということを具体的に示す判例や条例があれば、警察だって「犯罪性は認められません。以上」で終われる。つまり問題は、芸術性がわいせつの上位であるということを示すもの、守るものがなかったということなんです。
残念ながらこれが日本の現実です。私も「フェスティバル/トーキョー」で同じような状況を体験しました。スーパーリアリズムな演出の作品で、セックスシーンでは本当にセックスをしているように見えるし、初演時の公演では局部も露出しているように見える。だけど、当然ながらそれは劇場で行なわれているフィクションなんですよ。でも、「出てますよね?」って言われたら犯罪として検挙される可能性があるので「(性器を)見せないように演出を変えてください」と、演出家に言わざるをえない。その作品は世界中の多数のフェスティヴァルや劇場で上演されていて、べつに性器を出していることで問題になったことはないですし、今の社会で性器やセックスの有無を問題にしていること自体がちょっと時代錯誤的。むしろコンビニで誰でもエロ本が読めるほうが危ないと私は思うんですけど(笑)。
でも、現行の制度下では、フィクションの枠であってもアウトになる可能性がある。私はこれを世界に恥ずべきことだと思っています。何のための美術館、何のための劇場か。ここは表現を行なう場であって、その表現はアーティストが芸術としてあらゆるリスクを負って確信犯的に行なっているものである。けれども、それが現行の法律を前には何の効力もないということを私たち日本人は世界に示してしまっているわけです。それを変えていく必要は絶対にあります。
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小川
これからさらに規制が強くなっていく恐怖はありますか。
相馬
権力を持っている上層部の人たちってそんなにバカじゃないんですよ。だから直接ダメとか絶対に言わないと思います。法律に照らして明らかに犯罪性を含むことをやってしまっているなら別ですけど。けれども、間接的なかたちで、そういうことができづらくなる社会になっていく可能性は多分にあると思います。今回の愛知県美術館が非常にいい例で、つまり、警察が先に言ったわけじゃないでしょう? 一人の市民が通報したことで事態が展開している。しかも匿名なので、顔のない……実態のない市民が勝手に世間を代弁して言ってしまう。権力はそれを無視できないし、あるいは、利用するっていう構造ですよね。
そういう空気が世間に蔓延していって、私たちも自己規制を始めてしまうかもしれない。そういうことは実際に震災の直後に起こったし、これからもひどくなる可能性はあると思います。

相馬千秋(アートプロデューサー)
フェスティバル/トーキョーの初代プログラム・ディレクターとして全企画をディレクション(2009–2013)。横浜の舞台芸術拠点「急な坂スタジオ」設立およびディレクション(2006–2010)。2012年r:ead(レジデンス・東アジア・ダイアローグ)を立ち上げ、東アジアにおけるコミュニケーション・プラットフォームの創出に着手する一方、国内外の多数のプロジェクトのプロデュース、キュレーション、プログラム選考などを手掛けている。2012年より文化庁文化審議会文化政策部会委員。早稲田大学、リヨン第二大学大学院卒。

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