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「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

第9回

ディレクターくにときの 途中下車の旅
第9回 高円寺

佐藤信さん(劇作家、演出家)
2014年01月31日更新

対談の舞台としては2回目となる高円寺に途中下車。今回のゲスト、佐藤信さんは杉並区立の劇場「座・高円寺」の芸術監督、個人劇団「鴎座」の主宰として高円寺の町と深い関わりのある方です。そんな佐藤さんとディレクターの國時が出会ったのは3年前。佐藤さんの演出する舞台の衣装をSTOREが担当したのがきっかけでした。自身のファッションブランドの洋服を作る國時が舞台衣裳に挑戦したのはその時が初めて。國時にとって佐藤さんとの仕事はとても印象深いモノになっているようです。

子供って外へ外へと子供向きじゃないモノを求めている

國時
「『ピン・ポン』と『ふたごの星』は僕が舞台に関わらしてもらった最初の仕事で、特に『ふたごの星』は信さんのイメージを聞いて一生懸命作った結果、ああいう服ができたんです。 自分としては作品の事をよく考えたつもりでいたのですけど、観客の子供達がどう思うかはあまり考えられていませんでした。信さんは演出の時にどういう事を考えて作っていたのか聞かせて下さい」
佐藤
「あまり考えていないっていうのが正直な所かな(笑)。子供たちとの仕事は座・高円寺で割とウェイトをおいてやっているんだけど、周囲にある子供向きの演劇や映画は本当に子供が面白いんだろうかって疑問がずっとあってね。子供たちは子供向きのモノに囲まれ過ぎていると思う。子供って外へ外へと子供向きじゃないモノを求めている。変な言い方だけど、そこにちゃんと子供を相手するモノを置いておかないといけない。もう1つ、家を出た時に子供の行く場所ってどこにもないって思いがあってね。ことに都会では、高円寺の町だってお金を払わないといられない所ばかりじゃない? それで子供たちがいられる場所、子供もいる劇場、芝居を作りたいって思ったんだけど、「子供向き」とかはあまり意識していなかった。
「××向き」っていうのは市場(いちば)の考え方だよね。市場って効率良くやろうとターゲットを狭めて、そこを集中的に宣伝していくわけだけど、劇場はお年寄りから子供まで色んな人が雑多にいる方が良いと僕は思うの。作る時、誰に見せるって意識はないかな。僕らの仕事は絵でも音楽でも同じだけど、ちょっといかがわしい所を持っている仕事じゃない? モノを作っている人や高円寺の町で商売している人に比べると全然大変じゃないと思うんだよね。いかがわしい仕事と思っているので、やっている人たちが楽しんでいないと申し訳ないと思うんだよ。皆も本当はいかがわしく遊んで暮らしたいわけさ。でも、そうはいかない。その中で許されているんだから、せめて楽しみながら作って、それを共有できる場に広げていければ良いかなと…。僕は文化芸術って性善説じゃなく、性悪説というか、価値あるモノとは思わないんだよね。そういう意味では『身勝手に一生遊んで暮らしたいと思っているから、この仕事をしているんです』っていつでも言うんだけどさ。もちろん、そのリスクも負わなきゃならないんだけどね」
劇場2階のアンリファーブルにてスタート。

劇場2階のアンリファーブルにてスタート。

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國時
「その後も他の舞台にかかわる事ができているんですけど、舞台は色んな能力を持った人達が集まって完成を目指しますよね。それぞれが自分の持ち場にプライドを持ちつつも一つの舞台を作り上げる為にチームワークを行う。初顔合わせから楽日まで、まるで短距離走のように突き進んで行く感じが何とも楽しく、もちろん大変でもあるんですけど、作っていく過程も舞台の魅力ですよね。」
佐藤
「芝居が良いのは終わっちゃう所なんだよね。なくなっちゃうのは切ないけど、だからこそ共同作業の最後にリスペクトし合えるんだよね。共同作業って絶対それが必要なんだけど、現実は終わらないから、どうしてもそれだけじゃいかない。だけど、お芝居の面白さって、あり得ないようなお互いのリスペクト。お互いに必要としているし、称賛し合える関係が作れる。それは一瞬の事なんだけど、終わっちゃうからできる事だと思うんだよね。ある意味無責任なんだけど、お芝居が終わる時は切ないけど好きだよね。これで全部なくしちゃえるって…」

楽しみながら仕事をしているという佐藤さん。その表情はとても充実感に満ちていました。そんな佐藤さんが舞台、演劇の世界に身を置いて実に半世紀にも及びます。1966年に劇団「自由劇場」を結成。1968年には「劇団センター68」の旗揚げに参加し、それから20年、全国各地を巡って大型テント公演を行っていました。劇団を中心とした演劇活動だけでなく、オペラや舞踊、人形芝居など、様々な舞台の仕事に携わってきた佐藤さん。楽しみながらやっているからこそ、半世紀にも渡って舞台の仕事を続けられるのかもしれません。続いて、佐藤さんは舞台衣裳や演出について話してくれました。

稽古場って言うと、皆は本番のために稽古していると思うんだけど、そうじゃないんだよ

國時
「僕は普段デザインする時に細部まで詰めて設計図みたいなデザイン画を描くのですけど、『ふたごの星』で最初にデザイン画を見せた時の信さんの反応がちょっと良くなくて、改めて描き直したボワッとした余白があるデザイン画でOKをもらえたのを覚えているんです。関わる人の意見が入れる余地があるって大事なんだとその時にわかって、演出とか稽古を見ていても、常に余白があって、そこに対して皆でモヤモヤと考えて形にしていくんですよね。それはたしかに遊びと言えば遊びなのかなと思いました。すごく真剣な遊びだと思いますけど(笑)」
佐藤
「設計図や何かイメージがあって、それに向かってモノを作るっていうやり方は多分すごく新しいと思う。やっぱり絵でも何でも自分でビックリするんだよ。こんなモノができちゃった、すげえなってその喜びがある。何か目的があって、そこに到達する事が作るって事になったのは近代的な考え方。工業や経済がモデルになっている。絵を描くっていうのは絵を描く衝動があって、モヤモヤ描いている内にできちゃった、これすげぇなってモノだと思うんだよね。それを自分で複製するようになったり、設計図にするようになったりしたのは新しい事なんじゃないかなって思うんだよね」
熱い語り口の佐藤さんを前にして、少々緊張気味の國時。

熱い語り口の佐藤さんを前にして、少々緊張気味の國時。

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國時
「それは信さんがやっているやり方とは違うんですか?」
佐藤
「そうだね。お芝居をやっている時、稽古場って言うと、皆は本番のために稽古していると思うんだけど、そうじゃないんだよ。本番は本番でできちゃったってビックリすんだよ。だから本番はいつも全然心配してないんだよね。1回だけだったら絶対うまくできると思うわけ。その1回の体験を大切にすれば、2回目もできると思うの。だから逆に言うとそうじゃないタイプのお芝居作りは苦手だって事だね。稽古していて皆が悩んでいると、そこが一番楽しい所だと思う。悩んでいるけど『できあがるのは芝居だろ?』っていつも言っている。そういうモノに悩めるっていうのは面白い」
國時
「稽古を見ているのは楽しいんですけど、役者さんは大変だなと思います」
佐藤
「どういう所が大変だと思う?」
國時
「例えばある稽古で信さんと役者さんのやりとりでこんな感じのことがあって、役者さんが「左から右に歩いていく演技」をしたとしますよね、信さんは「右から左に行く方が自然じゃないか」と逆の意見をぶつけたんです。役者さんは言われた通りに演技をしたら今度は「駆け足の方が自然じゃないか」って、今度は別な角度の意見が加わって、そんな感じで一つのシーンを延々と検証されていたんですけど、こういう時、役者さんテクニックじゃなく反射的に色んな事をやらないといけないので、全部力が出ちゃうと言うか、裸にされちゃうのを見ているのは本当ハラハラして(笑)」
佐藤
「舞台を観に行った時に俳優さんが余っているなと思うのはすごく嫌なんだよね。だから、なるべく一緒に仕事をしている時は俳優さんを全開にしたい。俳優さんって自分自身しか材料がないじゃん。結局は全部自分だよね。そうなると、その人の持っているモノ、特に他の人がないモノが出てくれば面白い。それを出すために割とかたちをきちんと決めるのはすごく苦手だね。余白があるというよりはキリがないというのかも(笑)。でも最後に芝居ってパッとそれが形になる面白さがあって、それは僕も予想したモノじゃないし、誰も予想していなかったモノがふっと接合するというかな…」
國時
「役者さんにも思い入れがあるので、あぁ良い感じで演じているなぁ、と思いながら稽古を見ていて特に良い感じと思った時に信さんは『違う』って…。当然そうですけど、信さんの視点が自分と全然違うというのが面白くて、稽古の時はなるほど、なるほどと頷いています」
佐藤
「衣裳の話になるけど、特に『ふたごの星』は國時さんのデザインによって芝居に影響されている所もあるんだよね。お客さんは言葉と衣裳からものすごく読み取ろうとするから。日本の舞台衣裳の一番遅れている所はそこだと思うんだけど、実はものすごく表現しているので、やっぱりその人がやりたい事を的確に周知していかないといけない。國時さんもすごく稽古場に来るけど、海外の舞台の人と何かやると、稽古場に来る回数が日本の衣裳家と全然違う。最初に書き込んだデザイン画を持ってきて、そこからそれを壊していくというプロセスを共同作業でやっていく。日本だと『演出家はどう考えているの?それを画にします』みたいな事を言うけど、そうじゃなくて、海外は『自分はこの作品をこういう風に読んだ』ってプレゼンテーションがすごくちゃんとしている。じゃあ演出家は何をするかと言ったら、議論していって共同作業をしていく。その調整みたいなものがすごく面白い」
國時
「まだ新米なのではっきりどうやったら良いかわからないですけど、ファッションデザイナーがやる仕事と舞台衣裳の仕事は全く違うと最初に感覚的にわかっていて、今は何となく舞台衣裳ってこうやったら良いんじゃないかって…。本当に日常の服と用途が全く違うので、それが面白いですよね。防寒性とか縫製の気遣いも違うし…」
佐藤
「國時さんの衣装はアプローチの仕方がものすごく新鮮だった。やっぱり日本の舞台衣裳の流れがあるので、僕が舞台衣装家とあまり組まなくなったのは、舞台衣裳はこうあるべきという自分たちの引いた線から出られないから。もちろん日本の舞台衣裳は予算が少ないし、過酷な所でやっているわけさ。せっかくデザインしてもらったんだから活かしたいんだけど、活かしていっても最後の所が決まっちゃっている。そういう意味では國時さんは挑戦するというか、最後を決めないでできるっていうのがすごく新鮮だった。もちろん色の問題とか、形もある意味でとらわれていない所があったし、すごく変な形をするのが自己主張ではないみたいな…」
國時
「それは嬉しいです」
佐藤
「スタンダードな形の中に自己主張って入れられるんだよ。それがデザインなんだよってみたいな所があって、舞台衣裳を若い人がやるとそこをすごく間違えちゃう。舞台衣裳は非現実だからと言って変な形を作りたがるんだよね。結局、舞台って人間を見せているわけだから、それがうまくいかない時が多いんだけど、國時さんはデザインの方向性の相性が良い」
國時
「ありがとうございます」

舞台の話の後は劇場の話題へ。佐藤さんが世田谷パブリックシアターの劇場監督の任期を終え、座・高円寺の芸術監督になったのは2009年の事です。佐藤さんと國時の会話にも度々出てきていますが、この劇場を語る上で欠かせないのが子供というキーワード。『ピン・ポン』と『ふたごの星』は子供のために作られた演劇です。毎週土曜の午前中には大人が子供に好きな絵本を読んであげる「絵本の旅@カフェ」を開催し、日曜日には阿波踊りホールで様々なワークショップも実施。継続的に子供たちが楽しめる場所として開放しています。佐藤さんは座・高円寺をどんな劇場にしようと思っているのでしょうか…。

空き地って鉄条網が張ってあっても穴があって中に入れちゃう(笑)

國時
「地元が高崎なんですけど、親が僕を子供劇場っていうのに入れてくれて、古くて良い建築の群馬音楽センターで定期的に舞台を観ていたんです。観た演目も何となく覚えているんですけど、劇場に足を運んだ事や、エントランスの巨大ホールのインパクトというのが子供心に半分くらい強い印象としてあるんですよ。信さんの過去のインタビュー記事を読んだんですけど、座・高円寺ってチケットカウンターがなくていきなり入口になるように計画して作ったんですよね。そうすると『ふたごの星』や『ピン・ポン』の公演は劇場に入った時のガランとした雰囲気からもうスタートしているなと思って…」
佐藤
「僕も子供の頃から芝居を観に行っていて、一番嬉しかったのは駅の時計が9時半を指していた時。子供にしてみたらすごく遅い時間のわけだよ。大人になった気がして、そういう全部の体験だと思うんだよね。芝居が好きな人は月に40本も観ていてすごいと思うけど、芝居だけだったらそんなに観れないんだよ。行為全体というか、逆に言ったら生活につながって、仕事が終わってから劇場に行く行為、終わってから酒を飲む行為、そんな行為の連続の中に芝居が位置づけられた人にとっては苦痛じゃない。座・高円寺を作った時は高円寺という密集地に空き地を作ろうと思って…。普通、劇場って演劇をやっていない時は閉めちゃうわけね。鉄条網で囲っちゃって立ち入り禁止みたいにして、関係者や仕事をする人だけが入れる所じゃない。だけど、空き地って鉄条網が張ってあっても穴があって中に入れちゃう(笑)。これだけのスペースがあるから、なるべく開けっ放しにしておく。施設の受付もなくて出入りは自由。皆は警備員を置いた方が良いとか心配するわけだ。だけど公園と同じって考えれば置かなくても良いかなと。空き地にしておいて、使いたい人たちはなるべく自由に使って良いよって施設にしようと思っているんだよね。座・高円寺をやって一番良かった事はやっと町、コミュニティみたいなモノが都会に住んでいても実感できた事かなぁ。何となく嬉しいよね。商店主とか、顔を知っている人が町にいて、モノを買う関係だけじゃない関係を作れるってこんなに楽しい事はない」

子供たちにとって“空き地”のような場所にしたいという座・高円寺。この劇場は建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した建築家、伊東豊雄氏が設計したもの。外から眺めると巨大テントのような独特の雰囲気です。佐藤さんはこの建物自体を財産と考え、ずっとキレイに使うように努めているそうです。「公共施設が汚くなるのは色々な所に貼り紙をするからなんだよ。ここの芸術監督の最大の仕事は貼るモノに許可を出す事」と話していました。キレイに見せるためにチラシ類も一ヵ所にまとめているそうです。チケットカウンターがないだけでなく、対談が行われた劇場2階にあるカフェ「アンリ・ファーブル」には仕切りがありません。そんな開放的な空間で行われた対談も気がつけば終わりの時間。最後に國時は以前、舞台の打ち上げの時に聞いて気になっていた事を佐藤さんに訊ねます。

國時
「前にちらっと信さんが町の中で、小さい劇場でもない自然に何かが起きているスペースをやってみたいって話をしていたと思うんですけど?」
佐藤
「今、それはすごく思っている事。今は何かが確実に終わろうとしている。妄想的な事になるんだけど、文明史的なものすごい大転換の直前なんだと思う。終わるからすごく絶望的に思えるけど、これまでの歴史を見てみると、ひとつの時代の終わりがあって、そこから新しい価値観が生まれる。今、18世紀くらいから近代のヨーロッパが作ってきたモノが変わる時期なんだと思う。それはある種、等身大のコミュニティみたいなモノを基本にしようよって考え方だと思うんだよ。小さな経済圏で自立できるって事を考える。そういう価値観の再編の時に町で何かやるかって言ったら、サイズの大きいモノじゃない。僕は町の景観を残して、古い家の中を全部ぶち抜いたような多目的スペースみたいのを次に作れたらいいなと思っている」
國時
「それは自治体を巻き込んでですか?」
佐藤
「そのネットワークを自治体が支援していくと良いなと考えていて…。ハードは自分たち。ハードを作るから皆さん利用して下さい、っていう今までとは逆なんだよ。今までは利用の内容より全然ハードの方の比率がでかいわけ。ハードにお金を使おうとするでしょ。これからはネットワークやソフトにだんだん税金が使われるようになって行くと思う。これから困難な時期がちょっと続くと思うんだけど、変化というのは最終的に見てみると、楽観的に考えた方が良いって思う。今は過渡期じゃなくて、終わりの最後。ここからちょっと大変だけど、それは絶望的な事じゃなく、足元を見ると、新しいモノが芽吹いているから、そっちに賭けてみると良いんじゃないかな。すごく変わってきたのはこの4、5年だね。確実に違うモノが生まれているし、それに期待を寄せた方が良いと思う。僕はどこまで遊べるかわからないけど、遊べたら面白いなと思っている」
1時間のトークが終わり、晴れやかな笑顔の佐藤さん! 座・高円寺という「空き地」に ぜひ遊びに行ってみましょう♪

1時間のトークが終わり、晴れやかな笑顔の佐藤さん!
座・高円寺という「空き地」に ぜひ遊びに行ってみましょう♪

とても穏やかな表情とやさしい笑顔が印象的だった佐藤さん。その表情からは本当に心から芝居や舞台の仕事を楽しんでいるという事がわかりました。今回は佐藤さんが多忙なため、1時間という制限の中での対談でしたが、芝居の話の時にスイッチが入ってしまった佐藤さん。芝居の話だけで30分以上の時間が過ぎてしまい、聞きたい事を色々と考えていた國時が慌てる一幕もありました。佐藤さんは1つ1つの話を丁寧に話してくれ、國時はそんな人生の大先輩からたくさんの事を吸収しようと熱心に耳を傾けていました。将来を担う子供たちの話題では、子供たちを変に子供扱いせずに対等に向き合っていると感じました。そんな佐藤さんの話を聞いて、座・高円寺は子供だけでなく、大人にとっても楽しい“空き地”なんだと思いました。気になった人はフラッと立ち寄ってみてはいかがですか?そして自分なりの“空き地”の楽しみ方を見つけて下さい!

TEXT:下田和孝

佐藤信(さとうまこと)・劇作家、演出家

昭和18(1943)年生まれ。杉並区在住。昭和41(1966)年に劇団「自由劇場」を設立。昭和43年(1968)年に「演劇センター68」(現在、劇団黒テント)の結成に加わり、以後20年間、大型テントでの全国移動公演を継続。1980年代より東南アジアを中心に海外の現代演劇との交流を深める。劇団を中心にした演劇活動のほかに、オペラ、舞踊、結城座の糸操り人形芝居、ショーやレビューと、さまざまな分野の舞台作りに参加。世田谷パブリックシアターの劇場監督(1997〜2002年)。現在、座・高円寺の芸術監督、個人劇団「鴎座」を主宰。

今回おじゃましたお店

アンリファーブル|カフェ・レストラン
東京都杉並区高円寺北2-1-2
座・高円寺2F
営業時間: 11:30~19:00 火曜定休
http://www.cafe-fabre.net/top/

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