teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

第1回

アートプロジェクトで789(なやむ)
第1回 あふれるモノゴトシクミと情報の整理整頓と処分についての悩み

藤浩志さん
2015年08月14日更新

アート・プロジェクトが抱える諸問題をシェアーしながら、それらを一つずつ紐解いていく連続トークショー「アートプロジェクトで789(なやむ)」。その第一回目のゲストとして、どなたがふさわしいのかを考えた時、真っ先に思い浮かんだのが藤浩志さんでした。 藤さんは1980年代初頭、「アートプロジェクト」なんていう言葉が世の中に出まわるずっと前に、街の中でアートを花咲かせようと奮闘した美術家。それから30年以上、多くの人を巻き込みながら展開する美術作品や、全国のさまざまなアート・プロジェクトに携われてきました。その長いご経験から、多種多様なお悩みをきっとお持ちのはず。それでは、パイオニアのお話に耳を傾けてみましょう。

学生の「思い」だけでアートプロジェクトを突っ走ろうと(笑)


今日は記念すべき第1回目のゲストとして、美術作家、そして十和田市現代美術館の館長である藤浩志さんをお招きしてお話をうかがいたいと思います。ここ10年くらい「アートプロジェクト」という言葉が世の中で使われるようになってきていますが、藤さんは今から30年前の1983年、まだ学生だった頃に京都でアートプロジェクトを立ち上げられたとか。
はい。僕が仕掛けたわけじゃないんですが、京都市立芸術大学の大学院1年のとき、同級生で油画のやつがいて。ある日、そいつが渡月橋の上で雨に打たれながら一人で盛り上がってるんです、「俺はやるぞ!」みたいな(笑)。で、「京都の文化の発祥は鴨川だった! 俺は街なかで芸術をやる!」というので、僕も付き合ったわけです。
ちょうど80年代はじめで、京都の中心市街地である河原町に、新しい商業施設がいろいろとできはじめていました。ギャラリーや倉庫を改造したようなライブハウス、美術書やポスターを扱うショップなどが続々とオープンして、街中に力が感じられるようになった時期。
そこで、街なかを使って、アートイベントをやろうと。で、無い頭で一生懸命考えたタイトルが「アートネットワーク’83」。「ネットワーク」が新しいんじゃないかと(笑)。企画書も書かなきゃいけないから、素人臭い文章を一生懸命書いたりしましてね。
ところが、体制も準備もズタズタでした。アドバイスしてくれるところもなければどこから場所の使用許可をとればいいのかもわからない。
美術大学の学生は、絵画というとホワイトキャンヴァスがあって、空間というとホワイトキューブ、そのなかで自由に描くのだけど、今回のケースでは、社会のなかにイメージを描くことになるわけです。そうしたとき、地域社会のなかに管理者がいて法律があるなんて、思いもよらなかった。ホントに学生の「思い」だけ。「よっしゃ、俺は川のなかに鯉のぼりを展示してやるぞ」みたいな感じで突っ走ろうとしていた(笑)。
で、実際に展示するまでのプロセスや展示した後に起こった様々なできごとが非常に新鮮で面白かったんです。結果的には、これがきっかけで、アートの道に足を踏み入れることになりました。

ただ、作品はすぐに撤去されてしまったんですよね。
そうです。ホントに面白かったんだけどね、僕のデビュー作。
 当時僕は染織科の学生だったのですが、糊の筒描きという友禅の技法を使って、一匹5メートルの鯉のぼりを15匹作ったんです。それを三条大橋の下の鴨川の中に13匹繋いで設置しました。でも、いたずらみたいに捉えられて、京都府の土木局に拾得物撤去ということで撤去されちゃった。それで、始末書まで書かされて(笑)。
 同時に、京都市内の河原町という商店街に招き猫の看板を68匹染めて置いていくプロジェクトもやろうとしたんです。それぞれのお店が看板を一個ずつ置くと、街全体が招き猫で埋まって面白いだろうと思ってね。
 で、とりあえず制作して、看板を持って「置いてください」って、一軒ずつお店に直接交渉にいきました。だけど、どこも置いてくれなかった。見事に断られまくりましたね。数軒だけ、新しくできたビルに、置いてくれるという奇特な理解者があったので、そこにまとめてダダダーッと並べて……悲しい結末だね(笑)。

その京都アートネットワークはその後も続いたんですか?
いや、まったく続かなかったですね。
吉祥寺の井の頭公園内の特設会場にてトークショーがスタート。

吉祥寺の井の頭公園内の特設会場にてトークショーがスタート。

美術館の館長ともなると、掃除とあいさつが異常なレベルになる


30年前、藤さんが学生だったころは、ギャラリーや美術館ではなく、街中でアートに触れることがいつか普通になるといったイメージはありましたか。
いや、僕ね、そもそもお寺が好きなんです。三十三間堂だとか広隆寺だとかに影響を受けてきたので、街なかにそういう要素があるのがあたりまえだった。だからこそ当時も、街なかに違和感を仕掛けていったのだと思います。
 それと、これはよく言っていることですが、別にアートが街にあるとかどうこうというよりは、自分たちが、京都市の歴史であったり鴨川の歴史であったり、そういうものと関係を持ちたかったのだと思います。
 例えば、今日の会場である井の頭公園、すごくいい感じだからここでなにかやりたい、そういうことに、僕はすごいモチベーションが湧く。今、こういう状況を作って、こうやって話をすることで、井の頭公園でトークをしたという記憶が参加したみなさんに生まれるでしょう?
 だったら、ただの花見でもいいじゃないかと言われるかもしれないけれど、関係の厚みや深さも重要な要素だと思っています。そのために、鯉のぼりは1匹じゃなくて15匹必要だった。ビジュアルインパクトとしても見過ごされないようにしたかったしね。

当時の藤さんにとって、一番の悩みは何でしたか。
誰も話を聞いてくれなかったことですね。市役所の人に企画書を持っていって相談を持ちかけるわけですけど、もうホントに……。
 「鯉のぼりを川に流す企画、どうでしょうか」と持っていくと、役所の人は「いや~、川の中はダメでしょ」と言うだけ。これって、立場としての発言ですよね。で、こっちも食い下がって「でも、面白いとは思いませんか?」と個人の意見を聞き出そうとするわけ。だけど、個人としての発言は一切しない。「だめです」と立場の意見しかいわない。「面白いとは思うけれど、できないでしょう」ぐらいに言えばいいのに絶対に言ってくれなかった。
 そこからはじめて「立場として考えること」と「個人として考えること」との違いが見えてきた。
 そういった、立場だけの人間にはなりたくないという思いを持ちつづけて今日に至るわけだけど……僕は今、十和田市現代美術館の館長をやっているのですが、そうすると、立場で話をする仕事がどうしても多くなってしまう。これは最近の悩みですね。
 あと、言えないことがたくさん出てくるでしょ。僕、美術館の役職に就いてから、ブログを書けなくなったんですよ。それまでは好き勝手にぼんぼん書いていたんだけど、全然書けなくなった。

なぜですか。
言ってはいけないことが多すぎるんです。実際、文章にしても写真にしても、情報の出し方は相当気にするようになりました。フェイスブックにアップする際も、無造作に公表しているように見えるかもしれないけれど、ちゃんと選り分けています。
たとえば、今ちょうど中崎透くんが十和田のシャッター商店街で《中央デパート》という素晴らしい作品を制作していて。いろいろな人に興味を持ってもらいたいから、設営の写真なんかはフェイスブックにアップしているけれど、完成形の写真をアップするのはNGなんです。

なんでですか。
なんでもなにも、美術館の立場上、アップしちゃいけない決まりなんです。めんどくせぇなあ~!って思うよねえ……あ、立場上はそんな話をしちゃいけないですね(笑)。

藤さんは百戦錬磨というか、数え切れないほどのプロジェクトをやられてきたので、悩みなんて持たれてないんじゃないかと心配だったのですが、むしろ最近のほうが悩みが出てきているわけですね。
いやあ、いろいろあります。今日のテーマである「アート・プロジェクト」に絡めて言えば、その基本は「掃除」と「あいさつ」だと学生時代から思っていました。どんなに小さな空間でも、人間関係の間合いの取り方も含めて、まずは掃除とあいさつがとても大切である、と。
だけど、美術館の館長ともなると、だんだん掃除とあいさつのレベルが異常に増してきて、すごいレベルになる。

どういうことですか!?
たとえば昔、京都の自宅を使って展覧会をしたことがあるんです。4人の作家が展示したのですが、それぞれが呼びたい人だけを数名ゲストに呼んで、毎晩宴会をするというグループ展。自宅は住宅街にあったので、隣近所に不審がられないよう、まず最初にあいさつに行って、その後も、とにかく近隣を掃除をするように心がけました。掃除をしていると、近所の人が通りかかるから、あいさつをするきっかけになる。そうやって信頼関係を築いていく術を身につけたわけです。
 それで、掃除はすごく役に立つなあという程度だったんですけど、だんだんと活動の幅が広がって、廃墟やらホテルやらを使うようになると、ビルの清掃めいたことが激しくなっていって。
 いまや、美術館なんて掃除ばっかりですからね。メンテナンスが大変なんですよ、美術館って。それでもって、近所の挨拶で済んでいたのが、今や議員、市長、知事や政治家、消防署長に警察署長……そういった方々に「よろしくお願いします」「すみません」「ありがとうございます」ってペコペコペコペコ……僕はいったい何をしてるんだろう、と(笑)。

でも、藤さんが来たら許しちゃう感じ、ありますよね。
許しちゃうかどうかわからないですけど……世間の館長さん、みんなこういうことをやっているんだなあ、と。

外部の人間だからこそ、つなぎの役割を果たせたりする局面がある。


藤さんって、あまり他者と対立したりしなさそうですよね。
その能力は意外とあるような気がしますね。あの、これは本心なんですけど、僕、嫌いな人がいないんです。むしろ面白がっちゃうんですよね。特に、その地域や社会で変人だと思われている人だとか、迷惑なヤツだと思われている人に、ついつい興味を注いじゃう。

で、その人と一緒に何かやってみよう、と。
そう。地域社会は、特に狭い社会であればあるほど、恨みつらみもあれば、いろんな関係があるでしょう。最初は全然見えなかったグループ分けとか力関係とか、そういったことが一所に滞在するとだんだんと見えてくる。それを読み取る役割の人間っているんじゃないかな。
十和田の現代美術館の館長に就任して今年で3年目なんですが、普段は福岡県糸島というところに在住しているんです。全然違う場所から訪れる人に与えられた役割というのが、確実にあって。外部の人間だからこそ自由にふるまえたり、つなぎの役割を果たせたりする局面がある。たとえば、別に僕は悪者じゃないですけど、悪役にならなければならないこともあるようです。
十和田市現代美術館は今年で開館から6年、計画自体は2003年に始まったのですが、実は計画をつくる前にアンケート調査の段階で、アーティストとして関わっていました。《かえっこ》という、家族を連れ出す魔法のようなワークショップをやりはじめた時期だったので、《かえっこ》で集まってくる子どもや親たちにアンケート調査をおこないました。その結果、地域の中でアートを生かしたプロジェクトを継続的におこなう計画ができて、その拠点施設として美術館ができたという経緯があります。
美術館の建設にはナンジョウアンドアソシエイツが関わっていました。業界の人は知っているかもしれないけれど、南條史生さん──森美術館の館長ですけど──はもともと国際交流基金に勤めていて、海外の作家を日本に持ってきたり日本の作家を海外に出す仕事をされてきた方だからか、オープンした時、30点以上ある常設作品には青森出身作家の作品が、ひとつもなかった。普通の公立の美術館なのに、海外の一流作家ばかりが並んで、ホワイトキューブのサイコロがたくさん転がる西沢立衛のハイセンスな建築がバーンとできちゃった。
草間彌生のカボチャやらキノコやらは、美術関係者には理解されるだろうけれど、地元の人にしてみれば「何だ、あの変なキノコは?」みたいな反応だったし、チェ・ジョンファという作家が作った《フラワー・ホース》という大きな馬の彫刻などは、僕からするとすごく良い作品ですけど、馬の産地である十和田の地元住民からは「馬はこんなプロポーションじゃない」「足の筋肉の付き方が全然違う」みたいな批判があって、つまりは反対者ばかりのなかでのオープンだった。
結果としては、観光客がたくさん訪れました。人口6万人の十和田の市立美術館に、初年度は年間18万人のお客さんが入ったほどの実績があったんです。病院と役場しかなかった中心市街地に、若いおしゃれな観光客が来るようになった。街がそれなりに元気になって、認知度も高くなった。
とはいえ、僕が赴任した当時はまだ、美術館に対していろいろな批判が聞こえていました。そういう人々と接する機会があるごとに、一緒に何かできないかと考えていました。反対者と一緒にプロジェクトを立ち上げようとしています。

それ、一番面倒くさいことじゃないですか?
僕にとっては興味深い。むしろ本質をついてくれます。反対意見を言う人のほうが物事をよく見て考えているし、それだけ準備もしているんです。十和田の美術館の何がダメなのか、話を聞くと「なるほど」と勉強になる答えがしっかり返ってくる。
ここで、先ほどの悪役の話につながるのですが、十和田市は何を思ったか、焼山というスキー場がある地域にもうひとつ美術館を作ると言いだしたんです。その基本計画の仕事を受けたんだけど、自然史博物館ならまだしも、美術館は難しいだろうというのが僕の意見。なのに先日、20億円かけて美術館をつくる計画を発表してしまった。

それで批判が今……
集まるはずなのに、なぜか来ないんですよ。こわいですよね(笑)。今からじわじわ来るのだろうとは思いますが、これからどうやって楽しんでいこうか、思案中です。

ワクワクしている?
いやあ、相当大変なことになるでしょうね。十和田の奥入瀬という場所は、たいへん自然環境が豊かなところなんです。苔の種類だけで150種くらいあるとかで、奥入瀬渓流ホテルで苔の学会の全国大会が開かれるほど。そういう催しに参加する人たちは、自然をどうやって保全していくか、真剣に考えているでしょう。
だけど、市としては、もっと観光客を呼びたいということで、その拠点として美術館をつくろうとしている。いや、それは違うでしょう、と。

今日は記念すべき第1回目のゲストとして、美術作家、そして十和田市現代美術館の館長である藤浩志さんをお招きしてお話をうかがいたいと思います。ここ10年くらい「アートプロジェクト」という言葉が世の中で使われるようになってきていますが、藤さんは今から30年前の1983年、まだ学生だった頃に京都でアートプロジェクトを立ち上げられたとか。
はい。僕が仕掛けたわけじゃないんですが、京都市立芸術大学の大学院1年のとき、同級生で油画のやつがいて。ある日、そいつが渡月橋の上で雨に打たれながら一人で盛り上がってるんです、「俺はやるぞ!」みたいな(笑)。で、「京都の文化の発祥は鴨川だった! 俺は街なかで芸術をやる!」というので、僕も付き合ったわけです。
ちょうど80年代はじめで、京都の中心市街地である河原町に、新しい商業施設がいろいろとできはじめていました。ギャラリーや倉庫を改造したようなライブハウス、美術書やポスターを扱うショップなどが続々とオープンして、街中に力が感じられるようになった時期。
そこで、街なかを使って、アートイベントをやろうと。で、無い頭で一生懸命考えたタイトルが「アートネットワーク’83」。「ネットワーク」が新しいんじゃないかと(笑)。企画書も書かなきゃいけないから、素人臭い文章を一生懸命書いたりしましてね。
ところが、体制も準備もズタズタでした。アドバイスしてくれるところもなければどこから場所の使用許可をとればいいのかもわからない。
美術大学の学生は、絵画というとホワイトキャンヴァスがあって、空間というとホワイトキューブ、そのなかで自由に描くのだけど、今回のケースでは、社会のなかにイメージを描くことになるわけです。そうしたとき、地域社会のなかに管理者がいて法律があるなんて、思いもよらなかった。ホントに学生の「思い」だけ。「よっしゃ、俺は川のなかに鯉のぼりを展示してやるぞ」みたいな感じで突っ走ろうとしていた(笑)。
で、実際に展示するまでのプロセスや展示した後に起こった様々なできごとが非常に新鮮で面白かったんです。結果的には、これがきっかけで、アートの道に足を踏み入れることになりました。
img1_02

「何をやるか」より「何をしないか」のほうが重要な気がしているんです。


瀬戸内や「あいちトリエンナーレ」の成功を見て、アート・プロジェクトをやりさえすれば観光客を呼べるという誤解が、たしかに最近蔓延していますよね。僕も、街でプロジェクトをやろうとすると、どれだけ人が集まるのかとか、そういうことばかり聞かれます。
悩みですよねえ。似たような話は、市役所関係者と一緒に仕事をすると、よく出てきます。観光客がたくさん訪れることは必ずしも悪いことではないけれど、別の要素、たとえば地域の人がどれだけ創造力や活動力をもって活動していくのか、あるいは地域の人々の感性の豊かさをどう育んでいくのかという課題もあるわけです。このふたつは相反するものであって、その適正バランスがどこかにある気がする。何が良くて、何が悪いということではなく、どうバランスをとっていくかが重要なんでしょうね。

プロジェクトによって街が潤うかどうかを聞いてくるような人たちに、藤さんは何と説明していますか。相手がなんとなく納得するような落とし所を見つける?
というか「『潤う』とは何を意味するのか」という話をします。それはお金だけを指しているわけではないでしょう。
いつも言っていることですが、答えを出すのではなく、現状からどっちの方向に進むのか、そのベクトルを一緒に探したい、というのが僕のスタンスです。「これが進むべき未来だ!」と、ひとつの答えをバーンと出すのではなくて、次の方向性を修正しつつ進めていくほうが僕にはしっくりくる。物質的にも精神的にも、地域の人がどれだけ豊かに暮らせるかがプロジェクトのベースにあるのだとすれば、現状からどちらの方向に進むべきか、必要ならばお客さんをたくさん呼ぶということも含めて落とし込んでいく。
作家によっては未来を指し示したがる人もいるのだろうけど、僕はそういうことは絶対にしません。だって、自分だって見えないからね。

未来が?
だからこそ悩むというか、考えるというか……。考えることって、楽しいですよね。一人で考えているとそんなに楽しくはないかもしれないけど、何人かで考えることってすごく楽しいことだと僕は思っていて。ある問題や課題に対して、どうしようかと考えている時間って、少なくともプラスの方向に動こうとしているわけでしょう。

先ほど、反対意見を持っている人は深く考えているというお話がありましたが、現実には、大多数の人が無関心なわけです。そういう人々を巻き込むのは、何かテクニックがあるのでしょうか。
それは圧倒的な力じゃないでしょうか。あとはズラし方かな。むしろ、こちらがいかに面白くなるかが重要ですね。こちらが面白そうだと、「なんだろ?」って興味を持つ人も出てくるし。とはいえ、無関心な人は無関心なままで、別に巻き込まなくてもいいような気がします。
最近、「何をやるか」より「何をしないか」のほうが重要な気がしているんです。僕なんか、妙なことをやりすぎて、「何をしないか」をもっと真剣に考えないとダメだと思うようになってきて。美術館も「何が置いてあるのか」も大事だけど、「何を置いていないか」も同じくらい大事なんじゃないか。
この井の頭公園も、パッと見たとき、すごくいいでしょう? でも、そこに妙なものがあると、「良さ」が阻害されますよね。余計なものがたくさんある空間には、何の魅力もないわけです。だけど、今はそういう余計なものばかりが存在する時代になっている気がする。

人とのコミュニケーションや関係づくりが、藤さんの作品を制作する上で一番重要なことなんでしょうか。
いや、それはあまり僕の中では重要ではないんです。意外と、モノを作りたいんですよ。僕は工芸が出発点にあるから、江戸小紋とか大島紬とか、ああいうものに今でも惹かれます。最終的には三十三間堂とか龍安寺の石庭のようなものを、ストイックに作りたい(笑)。でも、おそらくできないでしょうね。これらはその時代の仕組みや背景があってこそ、建てられたものだから。じゃあ、現代の仕組みや背景のなかでモノを作るというのはどういうことなのか。
作品を制作するときも、制作する場とか素材、あるいは仕組みの問題にどうしても興味が行っちゃう性分なんです。そのあたりを整備し、理解しつつ制作しないと、疑問が膨む一方で。
一時期、たとえ小さな空間でも、自分の制作スタジオを持つことは、作家として重要なことだろうと考えていました。そこで一念発起して、ちゃんと契約書をつくり、家賃を払って、スタジオを構えたんです。だけどその途端、作品を制作する気力がなくなってしまった。逆に、スタジオに縛られたくないという気持ちが沸々と湧いてきちゃったんです。
で、1997年福岡に「プランツ!」というディスカッションの場をつくって、若い人たちがそこからいろいろな活動を始めたところ、まわりの人間が作った作品のほうが、僕の作品よりも面白いことに気づいた(笑)。僕の周辺のアーティストはみんなとても優秀で、その後どんどん有名になっていった。その状況を見て、自分はきっかけづくりが案外うまいんじゃないかと思ったんです。
そこで、意図的に「状況づくり」を手がけるようになりました。ちょうど「OS(オペレーティング・システム)」という概念にこだわっていた時期でもあり、フィールド作りがしたかったんです。

場やOSを作るというと、中身は自分のコントロールできない状態になってしまう可能性もあるわけですよね。
そこが大切なんです。自分の意図とのズレを、僕は面白いと思える。それは、僕自身の性質として、最終的なヴィジョンを持っていないからかもしれない。「こういうものを作りたい」と強固に思ったこと、ないんですよ。だから、プロジェクトが途中で「あ、こっちじゃないな」という方向に進みつつあるときも、ちゃんと気づくことができるんです。そういうときは、なんていうのかな……プロジェクトそのものを、他人にそっくり譲っちゃう(笑)。

それ、「無責任じゃないか」と怒られることもあるのでは?
怒られますよ(笑)。でも、立ち上げるときが一緒であれば、いいんですよ。どっちにしても、途中からそれぞれがやるようになるんです。で、「あれ? 藤さん、いないの?」って話になって……

いつの間にかフェイドアウトする、と?(笑)
その、微妙な引き具合が大切なのね。気づいたら、だんだんいなくなっているんです。「あれ? 藤さんいないじゃん! あんなヤツ、頼ってられっか!」みたいな感じ(笑)。そうすることで、物事がいい状態で動いていくんですよ。
外から来た人間が、その地域にガツンと君臨するピラミッド構造をちょっと刺激することで、風通しよくなっていくんじゃないかと思っています。今よりも幸せになるための方法は、なにも動員数やお金だけではないことはみんなわかっています。関わる人がどれだけ自主的に動いて、小さな期待がどれだけ生まれたか。幸せは個人の中に発生する小さな感情の延長にあります。そこを邪魔するさまざまな常識やモノゴト、場合によっては僕のような人も、いったん外したほうがいいんじゃないかと考えるわけです。
< pre  | 

TERACCO募集

TERATOTERAの活動をサポートするボランティアスタッフ「TERACCO(テラッコ)」を随時募集しています。
アーティストの制作補助やインベントの当日運営に関わってみませんか?
年齢性別は、不問。お気軽にご参加ください。

ご応募はこちら