teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

第2回

ディレクターくにときの 途中下車の旅
第2回 高円寺

桜井鈴茂さん(小説家)
2012年02月21日更新

小説家の桜井鈴茂さんをゲストに迎えた今回は古着屋やライヴハウス、レコード店などが点在し、中央線でも独特の文化を持つ高円寺に途中下車。鈴茂さんに作家の仕事や町との関わり方などについて語ってもらいました。鈴茂さんとディレクターの國時は共通の友人を介して数年前に知り合ったという 間柄。何度か飲んだことがある2人の対談はとても熱を帯びて濃い内容のものとなりました。 お店に入ってビールを注文すると、鈴茂さんはタバコの葉とペーパーを取り出し、無造作に巻きタバコを作りながら話し始めました。小説家という特殊な仕事をしている鈴茂さんですが、今の仕事を目指していたわけではありません。若い頃、夢中になっていたのは音楽でした。中学、高校の時にバンドを組み、ベースを弾いていたものの、上達せずにバンドを諦めた鈴茂さん。そして大学1、2の頃、音楽と文章を書くことが好きだったこともあり、音楽ライターになりたいとぼんやり将来のことを考えていたそうです。それがひょんなことからヴォーカルとしてバンド活動を再開したのは21歳の頃。それは周りが就職活動に備えてバンドを辞める時期でした。

俺の周りには怒る女の子が多かった(笑)

國時
「きっかけは何だったんですか?」
鈴茂
「大学2年と3年の間の春休みにロンドンとパリに行ったのね。初めての長い1人旅、かつ初めての海外で、ロンドンに2週間、パリに2週間。で、ロンドンのカムデンロック・マーケットでナンパした日本人の女の子と仲良くなって、その晩から毎晩ライヴハウスに一緒に行ったの。夕方に待ち合わせて晩ご飯を食べてライヴハウスに行ってお酒飲みながら音楽を楽しんで……みたいなのを4日連チャンくらい。向こうはライダースジャケットにDr.マーチンのブーツを履いた1つ上の大学生で、最後の日に自然と将来の話になった。『ロッキング・オンとかのライターになりたいと思ってんだよね』って俺が話したら、その子が急に目くじら立てて『アンタさ、何で音楽がそんなに好きで音楽ライターになろうと思うわけ? 音楽が好きなんだったら自分でやればいいじゃん。なんか考え方が捻れてない?』って怒るように言ってきて。『でもさ、楽器下手だし…』とか言うと『じゃあ歌えば良いじゃん。文章も好きなんでしょ? 歌詞書いて歌えば良いじゃん』って。俺、その子に恋心を抱いていたから、その晩は告白してあわよくば……くらいな勢いだったのに、そうやって説教されてしまって(笑)。でも、本当にそうだよなと思った」
國時
「そんなことがあったんですね」
鈴茂
「もう1つ。高校1年の時に、一緒にバンドをやっていた女の子が現役で合格した某有名国立大学を半年で退学して、ロンドンに渡ってアートスクールに通ってたの。向こうで絵を描いたり彫刻を造ったりしていて。で、ロンドンでの最初の何日間かはその子のフラットに泊めてもらっていたんだけど、その時に『前から、彫刻とか美術とか好きだったっけ?』みたいな話になって。『そっちの方向で自分はやっていけるって思えたんだ?』って聞いたら、彼女はまるで俺が愚問を発したみたいに『それでやっていけるとかやっていけないとか、その発想がそもそもわからない。私にとっては何がやりたいかやりたくないか、それしか関係ない』って…。それもけっこう怒ったように言われて…。俺の周りには怒る女の子が多かった(笑)」
國時
「その2人からの助言は結構大きかったんですか?」
鈴茂
「大きかったよね。あの子たちのせいだよ、俺がいま貧しい生活をしているのは(笑)。さすがに40歳を越えて人生を俯瞰的に捉えてみるとさ、俺なんて明日をも知れぬ身だから、つまり、人生が丸ごとギャンブルになっちゃってるわけ。彼女たちの言っていることは正しいとは思うし、すごく格好良いと思うけど、やっぱ、欧米的な発想なんだよね。社会保障がしっかりしてたり、そうじゃなくともいくらでもやり直しがきく流動的な社会のさ。日本の社会ってもっと固定化されてるし、そもそも一本道じゃない? その道から外れると生きるか死ぬかってことになる(笑)。いや、まじで。オルタナティヴなライフスタイルっていまだ市民権を得ていないから」

そして、鈴茂さんは帰国後すぐにバンドメンバーを募集してバンド活動を再開。大手レコード会社のディレクターに気に入られ、レコーディングをしたこともあるそうですが、結局デビューは叶わずに終わったそうです。この後、京都のおばんざい屋の店長、水道メーターの検針員、郵便配達員など、様々な仕事に就いたそうです。そして、いろいろな世界を見て、多くの経験をしてきた鈴茂さんが辿り着いたのが作家という仕事でした。鈴茂さんは小説家という仕事について、慎重に言葉を選びながら、何度も言い回しを換えて、わかりやすく話してくれました。

僕はその物語の像を探していつもあちこち掘っているわけ。

鈴茂
「例えばアメリカだったら、いろんな人生経験を積んでその後で作家になるってコースが普通だと思うけど、日本では高校生や大学生が小説を書いて、そのまま作家になっちゃうって人がもてはやされる傾向があるでしょ。ちょっと不思議に思うよね。僕はわりと人生を迂回してきて、32歳も終わる間際になって小説を書き始めた」
國時
「本の中では鈴茂さん自身の体験が書かれているんですか?」
鈴茂
「それはいろいろ。そのまま書いても物語にはなりにくいから、体験が色濃い話もあれば、そんなに入ってない話もあるし、ほんといろいろ」
國時
「自分のことだったら考えやすい気がするんですけど、登場人物や町のイメージなどはどうやって作っていくんですか?」
鈴茂
「これが俺のやり方、って言える決まった方法はないんだよね。最初に登場人物、キャラクターを設定している場合もあるし、こんな文体で書きたいから、それに合う舞台を作っていく時もあるし、こういう職業の人を書きたいって決めて入る時もある。あと、先に1つのシーンが浮かんで、それに合わせて登場人物やプロットを立てていったりする時もあるし。常に小説のネタの事は考えていて、自由にやっているというよりはどうにかして書かなきゃって思い。例えば、土の中に物語という像が埋まっているとして、僕はその物語の像を探していつもあちこち掘っているわけ。尻尾から出てくる時もあれば、指から出てくる時もある。肩胛骨が出てくる時もあるし、髪の毛が先に出てくる時もあるし、掘っていてどこに突き当たるかはわからない。それがシーンから出てくる時もあれば、キャラクターから出てくる時もあれば、文体から出てくる時もあるってことだよね」

続いて、話題は小説の舞台の話から町の話へ。実は、対談した高円寺は鈴茂さんゆかりの町でも小説の舞台になった場所でもありません。高円寺から男性を連想するという理由で國時が鈴茂さんをイメージして選んだ場所。鈴茂さんも高円寺は好きな町の1つのようですが、今、住んでいるのは郊外のニュータウン。敢えてその場所を創作活動の拠点として選んだ理由…。そこには鈴茂さんの小説を書くことに対する真摯な姿勢が窺えました。

下北とか高円寺って極めて特殊な場所なんだよ

國時
「僕はまだ『アヴェ・マリア』『アレルヤ』『冬の旅』しか読んでないんですけど、舞台は高円寺って雰囲気でもないですよね。何かもっとドライなところ。一応、東京なんだけど、大きな街道があって、そんなに居心地がよい場所じゃないって感じがします」
鈴茂
「本当は高円寺とか西荻とかのごちゃごちゃしたコージーな雰囲気が好きなのにね。憧れているばっかりで、俺ってマゾなのかなって思うんだけど、たいてい好きじゃない町に住んでいる。でも、吉祥寺には4年ほど住んでたことがあって、その時期と京都に住んでた2年半だけかな。それ以外はずっと好きじゃない街に住んでいる(笑)」
國時
「それって何なんですかね?」
鈴茂
「まあ、単純にこの辺は家賃が高いしさ。狭くて陽当たりの悪い部屋なら住めるだろうけど、それは嫌なんだよなあ。住居空間っていうのをまず第一に考えてしまうところがあるのかも。外の社会と繋がりのないプライベートな空間っていうのをね。まあ、家で仕事をするってのも大きいけど。……今、住んでるところも住居自体は気にいってるけど、町としては全然よくないよ、ていうか、嫌い(笑)。世間的にはそこそこ人気があるみたいだけど、俺は嫌い(笑)」
國時
「住居空間以外に居心地が良い場所ってあります? 近くに好きなお店はあるんですか?」
鈴茂
「しいて言えば2つくらいあるけど……1つはタリーズ・コーヒーだし(笑)。やっぱ、心地よい町に住んでいたら創作はできないんじゃないかなって気持ちがどこかにあるんだろうね。例えば、下北沢ではしょっちゅう飲んでるんだけど、あそこにいると、世の中って案外素敵じゃんって思っちゃうんだよ。捨てたもんじゃないじゃん、ワンダフルじゃんって。物書きとして、そんな空間に身を埋めて、充足しちゃっていいのかってことはすごく考えるね。今の町に住んでいると、世の中というか日本社会の良くない面がいっぱい見えてくるんだけど、でも実際そうでしょ、ひどい世の中じゃん? 下北とか高円寺とかって極めて特殊な場所なんだよ。文化水準だって高いし、だからこそ個人経営の素敵なお店もいっぱいある。でも、日本にはそうじゃない町のほうが圧倒的に多いわけ。で、そっち側にふつうの人、っていうか大多数の人は、住んでいる。高円寺にいたら想像しにくいかもしれないけど、そっち側ってすごく殺伐としているんだよ、たとえ外観はピカピカだとしても、あるいは一見平穏に見えたとしても。そのことは実際にそっちサイドに長く身を置いてきた自分としては他人事じゃないし、そこでしか物は書けないような気がしていて。まあ、書けなくはないだろうけど、充足した中で作られるアートを、俺、あんまり信用していないのかも(笑)。社会に対して異議を表明することがアートの重要な役割だと思っているから。自分が気持ち良い場所に住んでいたら、それができなくなるっていうのは本能的に嗅ぎ取っていて、今のところは避けている」
國時
「その基準は小説に限らず、絵を描いている人でも音楽を作っている人でも? 充足した場所で創作していたら『そこ、生ぬるいんじゃないの?』って感じます?」
鈴茂
「正直、そういうふうに感じることはあるな。東京でモノ作りしている人たちの多くはそういうところに住んでたりするから、あまり大きな声では言えないけど(笑)、僕の感覚からすると、甘いなあとか、日本の社会が見えてないなあって感じることはたしかにある。……けどまあ、その一方で、先日もそうだったけど、國時くんと西荻で飲んだりすると、いいなあ、素敵だなあ、こういう町に住めば、俺にももっとオシャレでハートフルなものが書けて、もっと売れるんじゃないか(笑)、つまり、殺伐としたサイドに住んでる人たちが求めているのは実はそういうものなんじゃないか、なんて考えたり。それに、そもそも、好きじゃない場所に身を置くってしんどいからね、下手すると俺がへばってしまって元も子もない(笑)。ま、そんな葛藤の中で、あがいているのが現状です」
國時
「冬の寒さを話している作家さんがぬくぬくと暮らしていたらウソだろうって感じですよね」
鈴茂
「でしょ。あと、小説家の1つの役目ってなかなか聞こえてこない人の声を掬い取っていくこと、もしくは言葉にならない人の思いに言葉を与えていくことだと思ってて、まあ、生意気な物言いだけど。で、高円寺や下北沢の人の声ってわりと聞こえてくるじゃない? 代わりに言葉にしてくれる人もけっこういるし。要するに、それが町の文化水準が高いってことなんだと思うけど。極端な話、網走とかに住んでる人の声よりは聞こえてくるでしょ? だからっておれが網走の人の声を掬い取ってるとは思わないけど(笑)、高円寺や下北の声は代わりに聞き取ってくれる人がいそうだし、実際にいるし、俺はいいやって。俺は別の声を探してる。今は、とりわけ、東京郊外の」
國時
「鈴茂さんの町や住む場所への身の置き方はちょっと修行僧みたいな感じがしますけど、求めているものに対してよりよくあるべきという考え方はとても共感できます。お話を伺っていて、環境や生活をそぎ落とすことも自分の見たい世界へと繋がる1つの方法なんだなって感じました」

鈴茂さんは小説家の役目の話題になると、ひときわ語気を強め、訴えるように話してくれました。そんな使命を持って小説という仕事と対峙している鈴茂さんですが、前述した通り、なろうと思って小説家なったわけではありません。小説を書き始めたきっかけは単純にお金に困っていたから。そんな鈴茂さんが怒りにも近い感情で話してくれたのが夢を持とうという今の風潮についてでした。夕食の時だけテレビをつける習慣があるという鈴茂さん夫婦。その時、よく目にするのが仕事をしている人を追ったドキュメンタリー番組だそうです。

敗者復活がしやすい流動的な社会を作っていくべきだと思う

鈴茂
「自分の夢を持ってそこにひたすら向かってくことを美化する、あるいは、その結果成功した人を崇めたてる世の中の風潮に対しては思うところがあるね。なんか、自己中に感じられて」
國時
「すごくわかる。まとめられないですけど」
鈴茂
「もっと大切なことがあると思ってて。何者かになれたとかなれなかったとかは意外とどうでもいい。なれた後にどんな仕事をするかが肝心なわけだし。なのに、何者かになれた人を、なれたというその事実だけで周りがチヤホヤするじゃない? それが気持ち悪いんだよね。ていうかさ、誰かが夢を叶えたら同時に誰かの夢が叶ってないんだよ。サッカー選手だって誰かがレギュラーを取ったら誰かがレギュラーから外れるでしょ。つまり、この世の中、イス取りゲームってこと。誰かがイスに座ったら誰かがイスから落ちる。でしょ? 目標に向かって邁進する、それはそれでもちろん素晴らしいことだけどさ、一方で、そういうアザーサイドにも想像力を働かせなきゃね。今の日本の社会ってそういうことに想像力が及んでない気がして」
國時
「むーん、同感。。」
鈴茂
「前に、水道メーターの検診員とかコンビニの深夜番とかをやってる時に、労働のしんどさを嘆いたり不平をこぼしていたら、よく人に『だったら、がんばって早くそこから抜け出しなよ』みたいなことを言われたんだけど、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくて、どうして、そういう、まあ語弊はあるかもしれないけど、ロークラスな仕事の境遇を改善しようとしないんだろうってことだったんだよね。だって、誰かがトイレ掃除とかゴミ収集の仕事をしなくちゃ世の中はまわっていかないわけだし、自分がそこから抜け出せばそれでいいってことじゃないじゃん。だったら成功しな、みたいな発想はやっぱ、ちょっと下品な感じがする。敗者復活がしやすい流動的な社会と、たとえ敗者になってしまっても最低限の尊厳は保てる社会を作ってくべきだと思う」
國時
「余裕がないんだと思います」
鈴茂
「ま、その通りだよね。衣食足りて礼節を知るみたいなことがあるじゃない? 単純にGNPやGDPで言ったら日本ってまだ結構良いんだけど、本質的なところではたいして豊かじゃなくて、フランスとかイギリスとか、歴史ある先進国はそこのところがもっと見えているんだろうなって思う。今の日本人は自分のことで精一杯。というか、そんなに自分のことに精一杯にならなくてもいい人たちでさえ、自分のことしか見えてない気がする。これってDNAに内蔵されている貧しさなのかな、よくわかんないけど」
國時
「どこで足りたって思うかは結構大事ですよね」
鈴茂
「あるいは、クリスチャニズムってことなのかな。キリスト教的な考え方って大きいのかも。欧米にだって今や敬虔なるクリスチャンは少ないだろうけど、本人たちが意識してないレヴェルで、クリスチャニズムが社会全体に浸透してる。もちろん、それが悪いほうに出たりすることもあるだろうけど、やっぱ困ってる人を助けるとか、富を再分配する、というような考え方が、彼らのベースにあるような気がするなあ。ボランティアとか金持ちの寄付という形になって実際に表出してるし。俺はべつにクリスチャンでもないしコミュニストでもないけどね」

当日、風邪気味で体調が優れなかった鈴茂さん。対談は1軒目で終わる予定でしたが、鈴茂さんはまだ話し足りない様子で、2軒目で1杯だけ飲もうと提案。國時が見つけたバーへと向かいます。その店は人通りがほとんどない路地に佇む隠れ家のようなバーで、薄暗い店内はたくさんのレコードで溢れていました。物静かなマスターがかけていたロックは鈴茂さんの好みと合っていたらしく、話題は自然と音楽の話へ。対談の数日前に車でドライブしながら東北への取材旅行をしてきた鈴茂さんはその時、景色をイギリスの田舎町の風景と重ねてロックを聴いていたそうです。そんな話題を話していると、マスターが話に耳を傾けてくれていて、話題に上がった曲を次々とかけてくれます。鈴茂さんはかなりお店が気に入った様子で、「俺が1杯だけって言ったのに」と笑いながら2杯目を注文。店内に流れるジェフ・バックリィの歌声とともに高円寺の夜はどこまでも更けてゆくのでした。

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