欲望をゼロにする事によって100%満たされた状態を作る、というイメージ
- 國時
- 「中崎君とは卒展の場所を取り合ったけど、あれはどうなったのか、詳細を覚えてない。僕らが使いたい所を取っちゃった?それとも、お互いに折衷案になったの?」
- 中崎
- 「あれは僕も良く覚えていて、12月の頭くらいかな、卒業制作展(2001年1月末)の場所決めの話し合いだよね。STOREと彫刻科の人が中央広場の真ん中を取りたいってぶつかっていて、2つがお互いに譲って横にズレたと思う。僕は看板の作品だったから少し外れた植え込み沿いを60センチ使いたいってプランだった。あの話し合いはヤバかったね(笑)」
- 國時
- 「詳細は全然覚えてない。でも、絶対に戦うぞと思ってやっていたから(笑)。結局、僕らは会期中ずっとパフォーマンスをしていたから他の人の作品を見てないの。でも、中崎君は認識しているから作品も覚えている。言っちゃうと、自分たちの作品と中崎君の作品しか覚えてない(笑)。ずっと若気の至りって感じがあって、その後も中崎君とちょくちょく会うと、詳細は覚えていないけど、失礼な事があったんじゃないかなって…」
- 中崎
- 「特にない、ない(笑)。むしろ僕もぼんやりと申し訳ない気持ちで…。僕もあれは攻めるつもりだったから、なるべく看板と言わずに最初は『60センチ幅の作品なので皆さんには関係ないっすよ』って感じで行ったの。大体まとまった頃に誰かが『あれ、君、看板なの?』って言い始めちゃって、交渉が振り出しに戻る、みたいな面倒臭い事になった。設営の時にSTOREにも『やっぱりこっち側だけでも看板を別の場所に移動できませんか?』って言われて、『企画書が通ってるんで僕じゃなくて学校側に相談して下さい』みたいに対応してたり…。僕が看板をやっていた時はダサい看板を作りたいって感じだったの。皆が学校を美術館に見立てたいというか、学校の教室の壁を白く塗って、美術館や画廊だと思い込もうとしている感じを壊したいみたいな気持ちが結構あったから、よりチープな文化祭みたいな入口にしちゃって、ダサくしてしまえって欲望が強かった。観客が大学に入ってきた途端に『ああ、ここは学校だ』って最初から我に返ってしまうようなイメージ」
- 國時
- 「もう少しその話聞きたいな」
- 中崎
- 「デザイナーとクライアントの関係でも良いかもしれないけど、マーケティングされて消費者の欲望みたいなものがリサーチされ尽くして、『こういうのが良いんでしょ?』って感じで出されている状況っていろいろな場面であってさ。すでに出来上がっているフレームの中で、より優秀なものを作る事ってちょっと違うという気持ちがその時はあって…。あと、大学の時はサークルで陶芸の器も作っていたんだけど、なんだか歪んだものが好きで、完璧なシンメトリー(左右対称)の器よりはもうちょっとペチョというか、グニャというか、あるがままの不完全な形をおもしろく見立ててやっていくのが楽しかったり…。後から気付いたことだけど、欧米や中華の思想って、人間が不完全だからこそ完璧な形を目指して、それをエネルギーにして発展していくイメージがあって、それに対して、日本ってそのままの不完全なものを良しとしちゃうというか、100%に近づこうとするんじゃなくて、欲望をゼロにする事によって100%満たされた状態を作る、というイメージを持ってる。いわゆる禅の発想だとも思うし、茶碗作りをする中で、そういう日本らしさみたいな事は自分にもしっくりきました。でも一方で当時は、イタい看板とかを集めた雑誌のVOWとか赤瀬川原平さんのトマソンとかも面白いと思っていて、そういうみうらじゅん的な視点(?)と、さっきの禅的というか、茶碗作りで感じた日本らしさみたいなものが妙に共通する事が多いなと思って、その両側を意識しながらアプローチしていきたいなというのは、実は今でもあまり変わらない。ナデガタでやっている事もプロの人が集まるんじゃなく、アマチュアの人が集まって、不完全なものなんだけど、そういうもの自体の思想というか、その価値自体を作品化にしていくみたいな…。それは看板を始めた時くらいから一貫しているんじゃないかと思う」
- 國時
- 「ありがとう。改めて聞けて良かったです。ちなみに僕らは何をやっていたかというと、アトリエが学校の近くにあって、そこで本気で作った服を展示していたの。学校の中ではアトリエに来てもらうためにどんちゃん騒ぎしてたんです。本気でね。学校から一歩出た所を卒制の会場に組み込んじゃうという事をやった」
- 中崎
- 「そういう仕組みだったんだ。意外と似ている仕組みだったかも。僕は別の部屋でコンセプト展示していて、契約書と注文書、領収書、ドローイングを100人分。卒制展の出品者100人から看板制作の依頼をとって、契約してたの。それぞれのこうしてほしいって注文に対して、こんなふうにズレてしまったっていうドローイングとかもあったり…。そっちの展示を見ないと意味がわからない作品にしていたんだよ。中央広場ではバカ騒ぎして、どんどんカオス化したらした方が良くて、お祭りだから、みんな意味がわからない状態でどこかに行ってしまったらいいなとか思ってたかもなぁ」
- 國時
- 「同じような事をしていたんだね。僕らは8人、4学科で1つの作品を発表したんだけどすごく難しかった」
- 中崎
- 「STOREでやっていた、卒制を8人で合同名義にするって、あれは革命だと思うよ。世の中的には作家がコラボレートして作品を出すって普通だけど…。去年から油絵科の非常勤講師でムサビに行っているけど、学生がユニットとして共同制作にするって未だに難しい。それを学科の壁を越えて8人でやるって結構狂っているなって思う(笑)」
- 國時
- 「卒制前も通常の授業に出席しないで8人で彫刻科に行ったり、建築科に行ったりしてね。僕らの学科の教授には他学科の課題をやるので、それで単位認めて下さいって無理言って。意外とね、やんちゃな先生が多いから許してくれたの。黙認してくれたんだけど、卒業制作は個人の評価だからちょっと難しかった。ある彫刻科のメンバーは、コンセプトの説明そこそこにSTOREとしてどんどん作っていくから、先生が心配になったみたい。突然3人くらい彫刻科の教授がアトリエに現れて『君達の考えている事もわかるけど、個人としての評価が出来ないんだ。うちの学生を返してくれ』って言われて(笑)」
卒制の話題でヒートアップして殴り合いなんて事も心配していましたがその時の事は國時の完全な思い違い。心配は杞憂に終わりました。むしろ中崎さんはとても友好的。2人はお互いに自分と似ていると感じて、初めて食事をするとは思えない楽しそうな雰囲気です。そんな中崎さんが現在の活動の拠点にしているのは地元である茨城の水戸。そこで「遊戯室(中崎透+遠藤水城)」というオルタナティブスペースを運営しています。他にも個人のアーティスト、そして「Nadegata Instant Party(ナデガタ・インスタント・パーティー)」というユニットとして精力的に活動。全国各地を飛び回ってアートプロジェクト活動を行っています。卒制の話題が一段落すると、今度は中崎さんの仕事の話へ。
県知事にねるとん(男女の出会い番組)の司会をやってもらったりとか、かなり気が狂った企画だったね
- 國時
- 「中崎君の活動を逐一見ている訳じゃないけど、テイストが変わってなくて活動が広がっているから、すごいとしか言いようがない。ホント網の目のように日本中に活動が展開しているよね。さすが隣で争ったなって(笑)」
- 中崎
- 「隣で争った奴って重要(笑)。それ言ったらSTOREも今もその名義で続いているのは面白いというか、嬉しいよね」
- 國時
- 「お互いに変わっていない所と広がっている所があってそこは良いよね。中崎君が運営する遊戯室の何ヶ条みたいなのを読んだんだけど、『地域貢献しません、商業的ギャラリーではありません』的な事を言っていながら、『結果的に貢献出来たらよし、とか、作品どうしても欲しいというならかんがえますよー』って…。その感じがいいんだよな。骨太じゃないと悪になっちゃうのが分かっていて、確信犯的にバランスを取っているのがリアルだなと思ってすごく共感できたの」
- 中崎
- 「遊戯室は自腹で家賃を払っているんだけど、基本的にそこの運営で生計を立てようとしてないから、忙しかったらやらなくて良いって考え。事務所で使ったり制作場所にしたりしつつ、たまにオープンするスタンスにしている。たとえば行政の仕事とかで何かを盛り上げるという事になると、そういうゆるさはなかなか許されない。仕事の依頼に対して制作する事もあるけど、一方で、頼まれてなくてもやりたいからやる、作りたいから勝手に作る、みたいな部分が重要だったりするよね。遊戯室では、できるなら仕事というより一緒にやりたい事をやってみようよ、というノリでやりたい。その代り、ウチはお金があまりないから作家の自腹になるけどって…。作家にとって実験の場所というか、自分のためにうまく使える場所として機能できるといいかな、みたいな感じですね」
- 國時
- 「遊戯室はどういうサイクルで展示しているの?」
- 中崎
- 「通常は年に3、4本くらいのペース。今は僕も忙しかったりして年2本くらいかな。あとはメンバーの中で間貸ししたり、いない時は使ってもらったり…。年の半分くらいは水戸にいないから」
- 國時
- 「行政との仕事は大変でしょ?」
- 中崎
- 「うーん、どうだろう。例えばナデガタの場合は、直接の窓口はマネージメントメンバーの野田さんだったり。行政の仕事といっても、声をかけてくれるディレクターはアート系の人だったりするから、そんなに直接に行政の人とやりとりする事が多いわけじゃないかも。もちろん直接話したり交渉する場面もあるし、場合によってはすごく良い味方になってくれる時もある。現場によって状況は違うから一概には言えないかもなぁ」
- 國時
- 「一回繋がりが出来た所は少し楽?」
- 中崎
- 「うん、基本的には楽だね。青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)って所で通年ワークショップをして、2月に展覧会みたいな事をやったの。所蔵作品展みたいなのをワークショップで作るというような事をずっとやっているんだけど、そこは以前ナデガタで24時間テレビのプロジェクトをやった場所なの。だから場所も知り尽くしているし、スタッフも知っているし、サポーターの方も割と顔が通っている人が多いから。最初からリサーチの下地があるからすごくやりやすかった」
- 國時
- 「ちなみにその24時間テレビってどういう事をやったの?」
- 中崎
- 「会場が10メートル×60メートル×天井が6メートルくらいの巨大スペースだったんだけど、そこに十数個の撮影スタジオを作って、24時間の一日限りのテレビ局を作ろうみたいな…。番組のネタ出しから舞台セット作り、役者や出演者からカメラマンまで、素人たちがみんなで作るめちゃくちゃなプロジェクトだった。『24 OUR TELEVISION』ってHOURを私たちのOURにして、募集したら100人以上の人が集まってくれた。テレビと言ってもネット配信のUstreamなんだけど、地方局のテレビマンとか、ラジオのDJとかプロの人が10人くらい混じっていたね。素人も混じっていて、『何がしたい?』『歌いたい』『じゃあ、歌番組』とか、『ダンスしたい』『じゃあ、ダンス番組』とか、『まかない料理作らなきゃ』『じゃあ、料理番組』って…。テレビって何でもできるから総合ワークショップみたいな感じになった。県知事にねるとん(男女の出会い番組)の司会をやってもらったりとか、かなり気が狂った企画だったね(笑)」
- 國時
- 「いろんな間口があって、誰でも参加できて…。敷居が低いけど見え方がちょっと複雑でちゃんとアートになっている所が面白いなぁ」
中崎さんは茨城・水戸、國時は群馬・高崎とそれぞれ北関東の地方都市で生まれ育った2人。中崎さんは数年前までは東京に住んでいましたが、前述した通り、今は地元の水戸を拠点に活動しています。國時は中崎さんが仕事で群馬・前橋に行く機会があると聞いて地元の事をいろいろ訊ねます。地元だからこそ群馬の現状を厳しく見ている國時と実際に前橋で感じた事を語る中崎さん。2人の会話からは地方におけるアートの現状が垣間見られました。
それぞれがそれぞれの仕事をしながらいい大人が本気で遊ぶ
- 國時
- 「俺は地元に少なからず思い入れがあるんだけど、これまで群馬で自分が何かが出来そうだと思った事がないの。そう、前橋にはばあちゃん家があって、今はばあちゃんも亡くなってしまって誰も住んでいないのだけど、結構いい場所にあるんだよね。ばあちゃん家を何かに使えないかなと常々考えているのだけど、でも前橋はむずかしいなぁ。お正月にそんな事を考えながら前橋を歩いてみて、やっぱり自分には難しい。町に『さようなら』って言ってきた」
- 中崎
- 「おばあちゃん家もったいないなぁ、何かに生かせると良いよね。僕は2007年に実家に拠点を移したんだけど、それって水戸芸(水戸芸術館)があるというのは大きかった。町自体が云々って事は言えないから、アートっていうか、業界の話になっちゃうけど、『水戸芸がある。戻れる』って思ったんだよね。なんだかんだで同業者、作家やキュレーターとかが定期的に展覧会を観に来る場所だったから。東京で一緒に仕事をしていた飲み友達とか作家の人とかも僕に会うためだけではないにしても、水戸という町は年に1、2回来てもいいなって場所だったりするから。そこで活動していたら東京で人と会うより、もっとディープに人に会えるなって感覚がする。それまでは東京の小平に10年くらい住んでいて、滞在制作みたいな仕事が増えてきたから、独り暮らしの状態を維持して2ヵ月もいないとか、結構バカらしいなと思ったから全部実家にぶっこんじゃって、身一つで動ける状態にしたいなって…。東京にも仕事で来ようと思えば来られる距離だし、今はやりやすいと言えばやりやすい状況だけどね」
- 國時
- 「そうそうアーツ前橋って出来たよね、今前橋ではどんな事が起きているの?」
- 中崎
- 「ちょうど3月中旬からのアーツ前橋での展覧会に参加していて、このところよく足を運んでるんだけど、(アーツ前橋では)学芸員って枠で20、30代の年代の近いキュレーションする人が数人くらい雇われて、その町に住んでいる事自体もいいなあって思う。水戸の場合も同じだけど、地元出身に限らず外部からも専門的な人材が入ってくるのは面白い」
- 國時
- 「なるほど、(アーツ前橋は)美術館なのかな?それとも大きなギャラリーっぽい感じ?」
- 中崎
- 「市立美術館なんだと思うけどアートセンターと言った方がイメージが近いかも。外から来た若いキュレーターの人たちは近くで活動している同世代の作家がいたら、同じ話ができる飲み友達みたいな感じで仲良くなるじゃん。今、実際にそんな感じの事が起きていて、たとえば前橋ワークスってシェアビルでは地元の作家の制作スタジオを学芸員の人が一緒に一区画を個人で借りてたりする。街作りへの興味からアートに入った学芸員の人もいて、積極的に動いていて、地元の作家とも仲が良いし、そういう人がいることでいろいろ繋がっていっているかんじがする。地方都市という狭い場所だけに幅広い世代の繋がりもあるから良い土壌になっていると思う。よそ者が来たら『飲もうぜ』って皆が集まって来るしね」
- 國時
- 「そうなんだ。これまでマメに地元のアート情報をチェックしているけどなかなか惹かれるものがなかったんだ。県的にもあんまり力を入れてないんだろうなって勘ぐったりもしていた」
- 中崎
- 「でも群馬ビエンナーレがあるし、群馬もたまに良いのをやっているなって思うよ」
- 國時
- 「そうだね。でもやっぱり県民がそこまでアートに興味があるのかなって思っちゃうんだよね」
- 中崎
- 「水戸もないよ」
- 國時
- 「そっか…。そんな状況でも中崎君は活動に持久力があるじゃん。持久力って田舎には絶対に必要だと思っている。そういう人を地元で見つけるのは難しかったんだよね。将棋の漫画で駒を打つ時にピカーンって光る漫画があるでしょ、前橋にも打った駒がピカーン!みたいな事。ただ打った駒は光らないから。遊戯室みたいなピカーンが必要ね」
- 中崎
- 「今、前橋で起こっている事は水戸で『遊戯室』を始めた時の状況となんだか似ている気がしていて、そういう感覚があるからとりあえず面白そうだなと。それがマーケットになるとか、そういう事ではなくて、それぞれがそれぞれの仕事をしながらいい大人が本気で遊ぶ。そういう感じの場所になっているかな。マーケットとしてはなかなか難しいけどね。僕の場合でいうと、普段水戸で制作したり作品の発表をするわけでもないし、場所はあちこち行ったり来たりしてる。けどホームとして、戻ってきて気構えずに今の話をちゃんとできる人たちが周りにいてくれる事はとてもありがたくて素敵な状況だと思ってるんだけど、そんな感じの場所が前橋でもぽつぽつ出来始めてるんだろうなっていうのを感じてます」
ちゃんと話したのは初めてとは思えないくらい意気投合した2人。2軒目に移動しても今後の仕事の話、同級生の話など、話題は尽きません。そして気がつけば、中崎さんの終電の時間が近づいてきました。話し足りない國時は「ウチに泊まっていきなよ」と中崎さんを半ば強引に自宅へ連れ帰り、そして2人のトークは夜の深い時間まで続くのでした…。
TEXT:下田和孝
中崎透(なかざきとおる)・美術家
1976年茨城県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学。現在、水戸市を拠点に国内のさまざまな地で活動。看板をモチーフとした作品をはじめ、パフォーマンス、映像、インスタレーションなど、形式を特定せず制作を展開している。展覧会多数。2006年末より「Nadegata InstantParty」を結成し、ユニットとしても活動。2007年末より「遊戯室(中崎透+遠藤水城)」を設立し、運営に携わる。
今回おじゃましたお店
うめづ|居酒屋
東京都国分寺市本町4-1-7
042-323-4387
営業時間:17:00~23:00 日曜定休