teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

TERATOTERA WEST途中下車の旅11@国分寺
[中央線文化]のきのう きょう あす

シンポジウム/トーク

東京文化発信プロジェクトの一つとして、中央線の沿線地域でアートや音楽、ダンスなど様々なアートプログラムを展開する「TERATOTERA」。3年目の今年は、従来の高円寺-吉祥寺間の地域から国分寺まで「延伸」して、三つの「TERA(寺)」を結びます。そのキックオフとなるイベントが、6月30日に国分寺で開催された「TERATOTERAWEST途中下車の旅11@国分寺」です。「[中央線文化]のきのう きょう あす」をテーマに中央線ゆかりのゲスト3人が語り合いました。

テーマの[中央線文化]は耳慣れない言葉かもしれません。中央線沿線には、戦前には「阿佐ケ谷文士村」と呼ばれる作家・井伏鱒二らを中心とした文化人の集いがあり、現在も文学者や漫画家が多く暮らし、アニメスタジオなども集まっています。そうしたことから醸し出される文化的な雰囲気や風土、あるいは「中央線人」とも呼ばれる沿線住人の気風などが、[中央線文化]という「補助線」を引くことで浮かび上がるのではないか。そんな期待をこめて今回のトークは企画されました。
ゲストは、デザイン評論家で武蔵野美術大学教授の柏木博さん、歌人で絵本の翻訳も手がける穂村弘さん、そして小説家の西加奈子さんです。会場はオーガニックな食材をゆったりとした空間で楽しめる「カフェ スロー」。いかにも「中央線的」な雰囲気のトークに、定員の80人を超える観客が詰めかけました。

トークはゲストに中央線との縁を語っていただくことから始まりました。
柏木さんは1946年神戸の生まれですが、幼少期から現在までほとんど国分寺・国立エリアで過ごされています。その経験から「中央線沿線の街には、荻窪、吉祥寺などに闇市があり、その記憶が強く残っています。立川の駅前などは恐ろしいほどでした。デヴェロッパーがほとんど入っていないので、駅前がすごくごちゃごちゃしている。それがかえって街の魅力になっている」。
西さんは1977年テヘラン生まれで、大阪育ち。作家を目指して上京されて間もなくは、下高井戸に暮らして渋谷のバーでアルバイトしていました。「その採用面接で、経営者に『中央線のやつは採らない』と言われて、東京にはとんでもない差別があるのかと思った」という発言に会場は爆笑。「でもしばらくいると『中央線って、こういうことか』とわかってきました」。その後、約4年間、中野に在住。「住みやすくて、飲んべえにはたまらない街ですね」。
穂村さんは1962年北海道生まれで、大学生のころ、実家があった埼玉から西荻窪や吉祥寺によく遊びに来ていたそうです。「漫画家の大島弓子さんが作品の中で『吉祥寺は自分にとって最高の街』と書いていたので、それが刷り込まれていた。中央線の駅を一個ずつ降りてはどきどきしていた。中央線は非日常体験だったんですね」。8年前から西荻窪に在住。「念願だったのですが、でもずっと住んでいたいのかというと、迷うところもあって……」。屈折した語り口にも「中央線的」な響きがあります。

そうした「中央線的なもの」はどのように形成されたのでしょうか。
柏木さんは作家・井伏鱒二の『荻窪風土記』に言及されました。「井伏は昭和の初め頃から荻窪に暮らしました。その回想記が『荻窪風土記』です。井伏の周囲に太宰治や青柳瑞穂といった文士たちが集まり、『阿佐ケ谷文士村』と呼ばれたりしましたが、何をやっているかというと、将棋をさしてお酒を飲んでいただけ。鎌倉の文化人とはかなり違って、飲み屋や喫茶店など街の人々となじんで、大衆的な生活をしていたことがわかります。そうした師弟関係で、物書きのネットワークがつくられていったのではないでしょうか」。
穂村さんは「中央線沿線には、現在も物書きの知り合いがやたら住んでいるのは事実ですね。
三鷹には芥川賞作家が7人も住んでいるそうです。新しく知り合う人が中央線沿線在住ということも多い。たまには目黒とか違った地域の人と知り合いたいのですが……」と苦笑します。
この発言を受けて、西さんも「確かに、知り合うと『あ、この人も中央線なんや』ということが多いです。中央線にはなんか妖怪じみているというか、独特の力があるというか、変わった人が多いというイメージがありますね」。

話題は「中央線文化人類学」的な様相に。
穂村さんの観察に耳を傾けてみましょう。「西荻窪で驚いたのは、歌を歌いながら自転車に乗ってる人とか、おにぎりを食べながら歩いてる女性。脇の下に小型犬を2匹抱えて歩いている人とか。そういう、やや逸脱した人、僕も含めてぎりぎりアウトみないな人をよく目にします。お互い許し合ってるんでしょうね」。
「女性のファッションでもエスニックな柄とか、体の線が出ない服を着ているときに『中央線ぽい』っていわれます。女性らしさを誇らないのかな」という西さんの感想に、穂村さんは「ハイヒール率は低くて、天然素材率は高いですね」。
ここから穂村節が炸裂します。
「美大生のように見える、年齢は美大生じゃない人とか、とてもよく語る女性と、おとなしく聴いている男とのカップルとかが多くて、女性の主体性が守られているエリアという感じがします」「僕には名前のわからない巻き物などを身に着けてる女性が多いのですが、お洒落なエリアから西荻窪に打ち合わせにきた女性編集者は、とても憎々しげに『あのコは脚がきれいなのに隠してる』と言っていました」「中央線で見かける外国人は、恵比寿や青山と違って、目に自信がない」。
観客席では爆笑が続きました。

そこから、穂村さんは中央線を「高感度な負け組の街」と表現します。
「すごく呼吸しやすい。だけど、いつかここから出なくちゃという気持ちもある。でも中目黒に行くたびに呼吸がちょっとだけ苦しくなる。そんな微妙な空気感がある」。
美大教授の柏木さんも「中央線には美大や美大受験生に実技を教える学校が点在していますが、そういう美術系の学校はいわば『敗者復活』の場。復活できない場合もあるけれど、敗者が集まる場としての中央線。それがいいと思う」。
西さんは「例えば『西荻窪に住んでる33歳、フリーター』と書くと全部伝わる。逆に『白金台に住んでる24歳のイケてる娘』は書きにくい」と、小説家らしい比喩で応えます。
「負け組」という表現で、穂村さんが示唆したのは「メインストリームに対する違和感のゆるやかな共同体」というコミュニティーのあり方でした。「少数派がばらばらな価値観で住んでいるから、お互いにちょっとずつ許し合って棲息している。でもマイノリティーでないと想像力は機能しない。そういう意味で、すべてがマジョリティーなら目に自信の力は宿るかもしれないけど、それは幻だという気がする」。

2012年の「TERATOTERA祭り」は「NEO公共」をテーマとして展開します。言い換えれば、「3.11」後の社会を支える「新たな公共性」をいかに立ち上げるか。私たちの問いかけに、国分寺でのトークは「互いの違いを許容しながら営まれる共同体」という可能性を示唆してくれたのではないか、と思います。
(西岡一正)

開催概要

日時:2012年6月30日(土)
会場:国分寺・カフェ スロー
出演者:柏木博(デザイン評論家)、 穂村弘(歌人)、 西加奈子(小説家)
司会:西岡一正(テラッコ)

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