teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

TERATOTERA祭り@荻窪
ボランティアをてつがくする!

シンポジウム/トーク

なぜ、私たちはボランティアをしているのか?
私たちが自ら「TERATOTERA」のボランティア活動を顧みる中で抱いたこの疑問が、今回のシンポジウムのきっかけとなりました。文化として成熟し始めたボランティアの現在を捉えるため、哲学者の鷲田清一氏と、異なる分野で活躍する3人のボランティア経験者に語り合っていただきました。

会場は荻窪の「旅館西郊」。10代から70代の来場者70人を前に、パネリストの経験談を中心に現代のボランティアの特性について議論がなされました。
他人のための奉仕活動といったいイメージの強いボランティアですが、パネリストに共通していたのは、ボランティアは自分のためにしているという認識でした。現在の状況に対する違和感や自らの切迫した感情が、活動の原動力になっているようです。その意味でボランティアは自己実現のための営みと言えるかもしれません。
一方でボランティアは多くの場合、集団で行うものです。集団で行動をシェアしながらワン・オブ・ゼムになること、そして自分の行動が全体の中でどう機能し、繋がっているのかを確認できたときにやりがいを感じることができるのではないかという発言がありました。また、現代の消費社会の中で外部サービスを享受するだけの「客」としての生活から抜け出て、市民の一人として社会に関わりたいという潜在的な想いが、人々をボランティアに駆り立てているのではないか、という意見も示されました。
そして話題は、ボランティアが築く人間関係へと広がりました。仕事における人間関係で重要な、地位や年齢、性別といった属性もボランティアでは意味をなさず、ボランティアはみな、属性を取り除いて認め合う関係にあること、ボランティアは職業人としての自己が解体されて、自分の所掌範囲を広げる経験となるといった指摘もありました。このような緩い繋がりの中で楽しくシェアしていたボランティアでも、活動を継続する中で、組織としての問題が露呈してくる、とパネリストの方々は語ります。有給化による活動の格差、それに伴うヒエラルキーの発生。分担がいつしか分業になり、組織の論理に飲み込まれていく。活動が拡大するにつれてボランティアたりうる条件が露呈してくると、ボランティアの限界が指摘されました。終盤には来場者から質問を募り、ボランティア活動に対する想いや悩みを共有しました。
なぜ、私たちはボランティアをしているのか。その答えは今回のシンポジウムでは明らかにはならなかったように思います。しかし、その問いには正しい答えなどのかもしれません。重要なのは答えを求めて問い続けることなのではないかと思うのです。今回のシンポジウムがボランティアのみならず、それぞれの人生について今一度考えるきっかけとなれば幸いです。

開催概要

日時:2012年9月22日(土)15:00〜17:00
会場:旅館西郊
パネリスト:鷲田清一、稲葉剛、磯部昌子、片山実季

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