teratotera

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

TERATOTERA 祭り2011 -post-
シンポジウムTOKYO-FUKUSHIMA!

シンポジウム/トーク

「TOKYO-FUKUSHIMA!」は、東日本大震災と原発事故に見舞われた福島で立ち上がった「プロジェクトFUKUSHIMA!」と連携した特別企画。10月28日に行われたシンポジウムでは、先進国における大規模な放射能汚染という未曽有の事態のさなかでメッセージを発信し続ける「プロジェクトFUKUSHIMA!」から、中心メンバーである音楽家の遠藤ミチロウ、大友良英と詩人の和合亮一を招いて「3.11」以後を語り合った。司会は小川希TERATOTERAチーフディレクターが務めた。

///以下、トーク内容///

■ 小川: 「TERATOTERA 祭り」の特別企画として、「プロジェクトFUKUSHIMA!」と連携して、東京から福島を発信するアートプロジェクト「TOKYO-FUKUSHIMA!」を開催することとなりました。今日は「プロジェクトFUKUSHIMA!」の代表を務めている方々を招いてシンポジウムを進めていきたいと思います。まず、「プロジェクトFUKUSHIMA!」について説明をいただきたいと思います。

■ 大友: 大きくは三つの骨格で動いています。一つは野外フェス「フェスティバルFUKUSHIMA!」。それから「スクールFUKUSHIMA!」。一般から参加者を募って、プロジェクトに参加する音楽家、詩人、アーティスト、研究者らと、ともに学び、ともに作品を制作するというものです。もう一つは「DIY FUKUSHIMA!」という、プロジェクト参加者の作品を配信していくサイトがあります。これは、「DOMMUNEFUKUSHIMA!」という、郡山のコミュニティFMからUSTREAMとFMラジオで放送する活動とともに、福島のリアルな現状を発信しています。文化の面から何ができるかと、震災後に動き出したものです。

■ 小川: 最初に、遠藤さんから大友さんにもちかけたそうですが。

■ 遠藤: 震災以降、福島の音楽関係者と話した時に「ミュージシャンは誰も福島に来てくれなくなっちゃった」というので、「じゃあ行くよ」って答えたことから始まって、僕はライブツアーで東北をよく回っているんです。でも、ただツアーで行くだけじゃなくて、福島から何か発信することがやれないかなと思って、大友さんに相談してみたんです。

■ 小川: 皆さん福島の出身ですね。

■ 大友: 僕は横浜生まれで、9歳から18歳までが福島なので、ちょっとよそ者感があるんですけど。

■ 小川: 和合さんは福島で教鞭をとられていますが、大友さんから連絡があったとき、どういう思いでしたか。

■ 和合: それ以前にも大友さんからツイッターにメッセージが来ていましたが、急に「会いたい」という連絡をいただきました。大友さんはすごく怖い方という印象があったんです。遠藤さんはその二乗くらい怖いと思っていました。僕が高校時代に「鶏や豚の頭を投げて歌う先輩がいる」と聞いていたので、初めての打ち合わせではとても緊張しました(笑い)。お二人とも僕の高校の先輩にあたります。

■ 小川: 大友さんは和合さんをツイッターで知ったそうですが。

■ 大友: 「詩の礫」が始まった直後でした。福島の情報を探していたときに見つけて、福島の様子を知るために切実なものとして読んでいた。4月に初めて会ったのですが、会っているうちに「何かいっしょにできるかも」となっていったんです。

■ 小川: 遠藤さんと和合さんの出会いは。

■ 遠藤: 僕は大友さんのツイッターで和合さんのことを知りました。震災以降のリアルな福島の感じを和合さんのツイッターの詩を通して感じた。僕と大友さんは東京にいて、福島のことで何かやるんだったら、福島にいる和合さんと、ということになったんです。

■ 小川: 大友さんと和合さんが会って、8月15日の「フェスティバルFUKUSHIMA!」の話が進んでいったのですか。

■ 大友: そんなすぐには進まなかったですよ。福島駅で待ち合わせて、2人で「はりまや」という飲み屋に行って「フェスはどうだろう」って話していたんです。

■ 和合: その時は、正直戸惑いました。福島では野外フェスはあまりなかったんです。避難者もいっぱいいるこの時期にできるのだろうかと。そしたら、「はりまや」のマスターが奥から出てきて「福島、今元気ないから。フェスティバルやってくださいよ」って言ってくださった。その一言を聞いた時に「じゃあ、やるかっ!」と。

■ 大友: 「このまんまじゃ店が潰れるから」みたいな勢いがあった。本当は、そのマスターがここにいるべきなんです(笑い)。

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■ 小川: 「プロジェクトFUKUSHIMA!」という名前はどこからですか。

■ 大友: 和合さんがテーマは「福島」じゃないかと言ったんです。ちょうど飯舘村の避難勧告が出たりした時期で、どうなるかわからないっていう危機感があった。「福島」を残さなきゃいけないという気持ちもあった。それですぐに(遠藤)ミチロウさんにメールを書いた。

■ 遠藤: 僕は最初に「原発なんてクソくらえ」っていうタイトルでやろうと思っていた。原発が軸にあって、いろんな事が起こっちゃって、福島に住んでる人たちの気持ちっていうのもものすごく複雑だった。避難しなきゃいけないのに避難できない人もいれば、避難したくないのに避難しなきゃいけない人もいるし、子供からおじいさん、おばあさんまでみんないろんな思いがグチャグチャあって、そこに政治的なものも絡んできてるし、もう全部ひっくるめて、なんでこんなことになっちゃったんだよ、みたいなことで「原発なんてクソくらえ」っていうイメージだったんです。でも、福島のいろんな思いとか事情っていうのも包括したイメージのタイトルって、「福島」が一番いいなって思ったんです。

■ 大友: 4月の段階で、東京でUSTREAM「DOMMUNE」をやっている宇川直宏さんに連絡をしたんです。宇川さんも震災の時に、被災地から何かやらなきゃいけないと思っていたので、とにかく発信する回路を作ろうと。郡山で音楽関係の仕事をしていた森彰一郎さんやKOCOラジというコミュニティFMを結びつけて、「DOMMUNE FUKUSHIMA!」を立ち上げてもらった。 で、5月8日の最初の放送をきっかけに、「フェスティバルFUKUSHIMA!」をやるという大風呂敷を広げたんです。「福島はネガティブな名前として世界に広まったけれど、ポジティブに変えていこう」と。和合さんと会って1カ月もたっていない頃です。

■ 小川: あれだけの大規模なフェスは普通、1年以上かけて準備するのでは。

■ 遠藤: 僕もすぐできると思いつつ、実際にどんな事をやんなきゃいけないのかっていう想像は全然できてなかった。

■ 大友: ミチロウさんの存在が大きいんですよ。ミチロウさんたちのバンド「スターリン」に影響を受けた人がいっぱいいる。ミチロウさんが言ってくれたことでみんなが動いたんです。

■ 遠藤: やっぱり因果応報ですよ。宇川さんも「僕は高校生の時に、四国の高松で、スターリンのライブのスタッフをやった」ってぽろっと漏らしたんです。「豚の頭を買いに行ったんですよ」って(爆笑)。

■ 和合: 福島には震災と原発事故で大きな破壊がもたらされた。その破壊の中から何を続けるかという視点、その眼差しを、僕はお二人からいただいたと感じていますね。

■ 小川: 福島の再生が始まっていると思うんですけど、大友さんは音楽で状況に対して何かアクションが出来るという確信はあったんですか。

■ 大友: 全然思っていなかったです、最初の段階では。音楽だけじゃなくて文化的な営みがどれだけ必要かを、僕は和合さんのツイッターの詩を見て思ったんですよ。たかだか百数十文字ですが、サバイバルするとはこういうことだという、人の心を動かすものが出てきた。それを受けて何か根源的なものを感じたんですよ。人間は言葉を発しなければ生きられないという切実なものがツイッターの中にあった。同時に、福島ではみんな辛そうにしている、とんでもない事態が起こっていると思った。その中で何かやっていくには、文学も科学も含めて全体で動いていかないとどうにもならない。そのことを4月末に発言したら、ネットなどで読んでくれた人がいっぱいいて、フェスティバルにも集まってくれた。
やっぱり言葉は力があり、それで人は動いてくれる。

■ 小川: 僕は和合さんのツイッターをリアルタイムで追っていたんですけど、つぶやきとは全然違う次元に入った瞬間を感じた時がありました。

■ 和合: 震災後はずっと閉じこもって、怒りに身をまかせて、悲しみに心をまかせて書き殴っていたような状況だったんです。20年ぐらいずっと読者を意識して詩を書いてきたのですが、震災後はなにもかも全部壊れて、自分の中そのものが瓦礫の中にいるような気持ちになった時に、書き続けることで「明けない夜はない」という言葉が出てきたんです。
震災前はほとんどツイッターをしなかったんですが、今はツイッターから発想が始まっているようなところがある。なぜかというと、言葉を返してくれるキャッチボールがあるから。
そういう中で心と言葉のやりとりをすることが自分の中でとても大きい。言葉というのは心とつながって初めてリアリティを持つのであって、心が言葉と離れていればどんなに飾ってもそれはつながらないんだと感じたんです。みなさんのエネルギーをもらって自分の中で目覚めてきたんです。もっと書いていこうと思ったのがちょうど自分の中でも変わってきた時だったのですね。

■ 小川: 「フェスティバルFUKUSHIMA!」もツイッターで情報が広がっていって、そうそうたるミュージシャンが集まっていましたが、声がけはどのように進めていったのですか?

■ 遠藤: 自分の知り合いで、福島に絡みのあるようなミュージシャンに声をかけていったのですが、ほとんどがインディーズという自分たちのやり方でレコードを出して演奏活動もしているミュージシャンたちだった。「プロジェクトFUKUSHIMA!」をやっていくうえでの僕たちの基本的な姿勢と、出演してくれたミュージシャンたちの活動の基本姿勢が重なりあって、自由な意思で自分たちの表現を出していくことができたのかなと思ったんです。

■ 大友: 今回は声をかけるまでもなく、向こうから来てくれた。断った人の方が多いくらいです。スタッフもたくさん来てくれて、すごく嬉しかった。野外フェスの会場に巨大な風呂敷を敷いたんですが、あの風呂敷を作って敷くのにも地元の人たちとともに、美術界のそうそうたる人たちが参加してくれたんです。

■ 和合: あの風呂敷が宙に舞ったときに、このフェスティバルは今まで僕が感じてきたフェスティバルとは違うものだと思ったんです。アートの力が復権するような瞬間だった。クリエイティビティが政治や文化のメッセージよりも先にたったイベントというか、クリエイティブという眼差しが随所にある。大友さん、ミチロウさん、スタッフのみなさんのお力だと思うのですけれど、福島でものを創っていくことをここで宣言できるんだ、と僕は福島の人間として思ったんです。福島の皆さんは「3月11日」からずっと悲しいんです。これからもずっと悲しいと思う。でも「悲しい」という言葉、それ以上の、悲しいってことを訴える表現が、僕らにはないんですよ。それを創っていくのがアートだと思うんです。「悲しい」という言葉を繰り返されると、「またか」と思ってしまうところがある。「悲しい」ってことにいろんなグラデーションをつけていくのがアートの力だし、これから福島でやっていくことなんじゃないかと考えています。

■ 小川: 会場ではカラフルな大風呂敷が敷き詰められていて、その上でミチロウさんや大友さんが音楽をかき鳴らしていた。すごい光景でした。大友さんはどんないきさつで「大風呂敷」を広げることになったのですか。

■ 大友: 0.5マイクロシーベルトと会場がセシウムで汚染されているわけで、このことを抜きにして前に進めない、そう思いました。放射線衛生学の木村真三先生が「風呂敷で会場を覆えば、セシウムが直接肌に触れないし、外に持ち運ぶことにもならないしずいぶん違うはずです。そうすることで福島でフェスをやる意味を考えていきましょう」って言ってくれたんです。

■ 和合: 大風呂敷のきっかけは、私の記憶では、打ち合わせをしていた時に大友さんが「俺さ、すぐ風呂敷広げちゃうんだよなー」って言ったんですよ。それで周りのスタッフが「そうね、大友さんすぐ風呂敷広げちゃうんだよー」「あ、広げちゃう?」っていう会話があった。あそこから始まったような気がする。

■ 遠藤: 会場で、自分が提供した風呂敷がどこにあるんだろうって探すと、宝探しみたいだった。見つけた時の喜びはすごかったですよ、記念写真撮ったりとかしてね。

■ 大友: シンプルなアイデアだけど、いろいろ楽しみ方があったんです。手伝いたいという人が全国から風呂敷を送ってくれたり、刺繍をしてくれたりして、結構感動的でしたよ。

■ 小川: 普通のフェスと違ったということは、大風呂敷のエピソードからも伝わってくるんです。実際にやってみて感じられたことはありますか。

■ 遠藤: やっぱり出会いだなと思いました。人と人が出会う喜びが、その次に展開していく力になっていくんだなって感じた。風呂敷を敷いた時に、ばーっと雨が降ってきて、みんなテントに避難したんです。それまでは誰が聴くでもないままに歌っていたのが、テントに集まったらみんな熱心に聴くようになった。濃密なコミュニケーションが生まれたんですよ。雨が上がって、みんな会場に散らばって演奏をやりだしたら、雰囲気がガラッと変わった。そこに来ている人たちがものすごく生き生きしてるんですよ。期待感とか楽しみ方とかが、雨の水が蒸発して水蒸気みたいにもわっと湧き上がってくるみたいな感じで、想像もしなかった感じのコンサートになった。「雨だけは降らないでほしい」と思ってたのが、雨が逆にそのフェスの本質を見せてくれる結果になった。やばいことが実はものすごい良いことになるきっかけになるという、見本みたいな感じですよね。

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■ 大友: ちょうどセシウムから「雨宿り」しているような感じもあった。セシウムは雨みたいに甘いもんじゃないけど、でもこんな状況がなかったらこんな出会いもない。起こってしまったことは取り返しがつかないけど、だったら、もっと積極的にこの状況をどう跳ね返していけるかを考えた方がいい。

■ 小川: 和合さんはフェスティバルに参加されて、ご自身の中で変わったことはありますか。

■ 和合: 福島の方々が「応援しています」と声をかけてくださるんですが、僕は詩を書いてきてこんなふうに熱く励まされたのは初めてなんです。「プロジェクトFUKUSHIMA!」のことも「こういうものがなかったら、私たちは何のメッセージも出せないし、気持ちのはけ口もない。だから応援しています」って言ってくださる。今の日本で、声をあげることの難しさと向き合ったフェスティバルを、福島の人たちは受け止めてくださっているんです。同じ場にいて、同じ呼吸をして、同じことを感じて、それぞれの場に戻っていく。フェスティバルが本当の意味で福島と向き合ったという印象を受けました。

■ 大友: 5月の頃は汚染の状況をどう解釈していいかわからなかったので、木村先生に出会ったことがすごく大きい。放射線や放射能の被害に詳しい福島の記者や、郡山でいろんな化学物質の環境における影響とかを調査してる人とか、みんな入ってきてくれた。そこに美術家が参入してきて、近所のおばちゃんも参入して、風呂敷を敷いて……。そういう動きを見ていると、僕は音楽家として人と人をつなげていけるポジションにいるので、自分自身がメディアになってつなげていく展開を考えていけばいいのではと思います。

■ 小川: つい先日もチェルノブイリに行かれましたね。

■ 大友: 正直にいうと、僕が1回行ったところで何も変わらない。でも、何度か行く中で、つなげていけることはあると思います。25年たってもやっぱり大変だというチェルノブイリの経験は必要だと思うんですよ。チェルノブイリであれ、福島であれ、放射能との戦争状態は今も続いている。こんな社会を作っちゃった、こんな社会になってしまったことに対して、どう思っているのか。それは自分の責任も含めていつも考えてます。

■ 小川: 「プロジェクトFUKUSHIMA!」の今後の展開は?

■ 遠藤: 今回、同時多発という形で、日本でも何十カ所で同じ8月15日にフェスティバルをやってくれたんです。その後でツアーに行ってその人たちに会うと、それぞれの土地で、みんな思いが違う。福島のことに対するリアリティーはあんまりないけど、彼らのリアリティーで何かをやろうという形になっている。これからも福島とつながってやっていこう、という動きが広がってきた気がする。

■ 小川: 和合さんは、今後のご自身の活動の方向性についてはいかがですか。

■ 和合: 日常がどんどん静かになっている。今までは「終わりのない非日常」が、日常に戻されていくことが日本の「文化」でした。ヒロシマの問題とか沖縄の問題をきちっと受け止めないで来てしまった。そして今、福島の問題をどう受け止めていいかわからない。半年が過ぎて、その問題にもう蓋がされようとしている。この日本の冷たさと、貧しさ、この「文化」の現状に対して、デザインしていく力が必要だと思うんです。福島にいて、この蓋をされたままになっていく現状を、どうやって後世に残して、そして私たちの暮らしを私たちとして掴んでいくか、この震災をどうデザインして、そしてたくさんの人と分かち合うか、これがものすごく大きな命題だと思うんです。そういうことをクリエイターが集まって考えていく場になっていくことが「プロジェクトFUKUSHIMA!」の活動なのかなと僕は思っているんです。それを僕自身は言葉で創っていきたい。

■ 大友: チェルノブイリでは25年経っても被害を受け続けているように、すごく長い活動になる。放射能は見えないので、心と知識で戦っていくしかない。そのためには心と知識の体力つけていく必要があるだろう、という意味で「スクールFUKUSHIMA!」をやってるんです。僕が音楽を教えたり、木村先生の学校とかやったりとか、スクールを長くやっていく活動の柱にしたい。あとは、やはり内と外をつなげていくことで、「プロジェクトUKUSHIMA!」を賑やかにしていく必要がある。閉じた中で他と理解し合えない価値観だけが盛り上がっていってもしょうがないと思うんです。

■ 遠藤: 今回のフェスティバルをやる中で、色んなことが出来ることが手探りでわかってきた。本当はどういう社会が、生活する場がいいのかという、理想的なことを僕らは考えてはなかった。実は今、一番絶望的な場所になってしまった福島だからこそ、もっとリアルに考えられるんじゃないかという気はする。

■ 小川: 最後に皆さんからメッセージを。

■ 和合: 高村光太郎という詩人に「天然の素中」という言葉があるんです。山とか川とか風とかの中、いわば空気の素中です。その「天然の素中」を高村光太郎は探し続けた。今、福島も東京も、空気の中に何かがあるんじゃないかという恐怖感があって、特に若いお母さんがものすごく心配している。僕は「天然の素中」を取り戻したい、自分が生きている間に皆で取り戻したい。一緒にその空気の清々しさを取り戻しましょう。

■ 大友: この3人の個性ってすごく面白いんです。和合さんは福島にずっと住み続けている学校の先生。ミチロウさんは、草の根のように日本中にネットワークを張り巡らせている。同時多発フェスはミチロウさんのネットワークなんですよね。僕は日本の外なんかで仕事をやりながら、独自のネットワークを持ってる。この3人が皆それぞれのやり方で動いている、その感じがいい。そもそもミチロウさんと和合さんが一緒にやってる図なんて相当変なんですよ。
だけど、これから皆さんが描いていく未来像ってこんな感じかなと思うんです。

■ 遠藤: 今回の福島のことで、この現実を何とかして変えていこうという、一番の切実なリアルな叫びとか想いとか動きとか声を感じる。やっぱり女の人、特に子供を持ったお母さんの声が一番切実だし、リアル。それがこれからを変えていく一番の力になるっていう気がする。僕はその声を一番大事にしてやっていきたいなって思っています。

■ 小川: 今日は貴重なお話を聞かせていただいて本当にありがとうございました。

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遠藤ミチロウ、大友良英、和合亮一 《詩の礫》
10月28日の「シンポジウムTOKYO-FUKUSHIMA!」にて、トークの前に和合亮一、大友良英、遠藤ミチロウによる20分間のパフォーマンス「詩の礫」を行った。これは和合の詩の朗読と大友のギターと遠藤のボイスによる即興演奏が同時進行するという内容である。ダイナミクスのコントロールにより非常に緊張感のあるパフォーマンスとなった。

開催概要

日程:2011年10月28日(金)
会場:武蔵野公会堂
参加アーティスト:遠藤ミチロウ(音楽家)、大友良英(音楽家)、和合亮一(詩人)
司会:小川希

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