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「人と人、街と街とをアートでつなぐ」 中央線沿線地域で展開するアートプロジェクト

第6回

ディレクターくにときの 途中下車の旅
第6回 武蔵境

萩原修さん(デザインディレクター)
2013年12月16日更新

今回、ディレクターの國時は中央線の武蔵境駅に途中下車。この町に住んでいるデザインディレクターの萩原修さんをゲストに迎えました。2人は3年ほど前に共通の友人を介して知り合い、先日は萩原さんがプランナーを務めるプロジェクトに國時も参加、一緒に仕事もしました。そんな2人は対談前にJR高架下にある駅前レンタル自転車の「Suicle」へ。自転車に乗って萩原さんに緑豊かな町を案内してもらいました。この日は天気にも恵まれて絶好のサイクリング日和。子供たちが遊ぶ梶野公園や萩原さんが一緒に仕事をする「コウカシタ準備室」、気になるコーヒー店などを巡り、萩原さんの自宅である9坪ハウスにも立ち寄ります。元々、この自宅は萩原さんが務めていた新宿にあるリビングデザインセンターOZONEのイベントで展示されたものでした。

Suikaで乗れるSuicle(スイクル)で自転車を借りてサイクリング。レッツゴー! http://suicle.jp/

Suikaで乗れるSuicle(スイクル)で自転車を借りてサイクリング。レッツゴー!
http://suicle.jp/

気持ちがよい~

気持ちがよい~

萩原
「9坪ハウスは元々1952年に建築家の増沢洵さんが自邸として渋谷に建てたものなんです。200坪の土地に建坪9坪。自宅として使っていたんですけど、1999年頃にその軸組をOZONEの日本人と住まいというシリーズの展覧会で再現しました。その時は柱というテーマで、柱と梁という軸組(梁や柱などの骨組み)の構造を再現したんです。9坪ハウスは9坪の内3坪が吹き抜けになっていて、普通の2階建てをギュっと圧縮したようにコンパクト。すごく良いプランだったので、当時、事務所を引き継いでいた増沢さんの息子さんに相談して図面を借りて、その事務所と馴染みの工務店にお願いして、軸組を展覧会で再現したんですよ。会場に建てたらすごい気持ち良くて、それを家として完成させたくて、その手段として、軸組を僕が個人的に引き取って、土地を探して建てました」
國時
「じゃあOZONEの中に建てた軸組をここに持ってきて使ったんですか?」
萩原
「設計は新たに小泉誠さんにお願いして、デザインはやり直しているんですけど、基本プランは一緒。勝手口はなくして玄関だけにしたり、設備的なものも多少変えたり、今風にアレンジしている所もあります。当時は建築家に頼んで家を建てるとか、小さくても良いから都心に一戸建てっていうのが流行った時期。結構評判になって、取材がひっきりなしにあって色々と取り上げられました。この家を建てて13、14年くらいになるのかな。この家はスミレアオイハウスと名前を付けて、スミレとアオイって当時小3、小1だったウチの娘たちが育つ家として造ったんですけど、もう育っちゃったから、僕はそろそろ次の人に渡したい感じなんです。家族はそうじゃないみたいですけどね(笑)」
國時
「次はどんな家に住もうと考えているんですか?」
萩原
「僕は9坪ハウスの前にコーポラティブハウスとかコレクレィブハウスとか、皆で住む家を考えていて、『どうやったらいいんだろうね』って何人かとシミュレーションしていたんですよ。できれば一軒じゃなくて、何家族か、何世帯かと造るようにして一緒に住みたい。一軒だと限界があって、近隣との関係も難しいし、個人的に住むだけの住宅だけだと成り立たないと思っているんです。ただ家に帰って住むだけじゃなく、仕事が発生したり、お店ができたり、そういう複合的になっていないと面白くない。国立の実家が文具店だったせいなのか、どうしてもそういう風に考えちゃう。お店とか仕事場とか、近い距離感で地域ごとに盛り上がっていける住まいを作りたい」
國時
「それは共同体みたいなものですか?」
萩原
「共同体まで堅苦しい枠にはめたものじゃなく、緩いネットワーク的なものが良いなと思っていますね。やっぱり家も家族だけのものというより、いろんな人に使って欲しい。だから9坪ハウスでもいろんな展覧会をやっていたんですよ」

この9坪ハウスを建てた5年後にOZONEを退社した萩原さん。当時は娘さん2人が中学に上がって、いろいろと出費が増える時。自宅のローンも残っていました。そんな時に仕事を辞めてしまうという大胆な行動に出た萩原さん。実は仕事を辞めるかどうしようか5年くらい悩んでいたそうです。

できる限り自分が生まれ育った地域で活動していきたい

萩原
「今年で会社を辞めて10年になるんです。辞める時、考えが2つあって、1つはできる限り自分が生まれ育った地域で活動していきたいという事。40歳過ぎると人生折り返しのイメージがあるから、あまり時間がないと考えるようになって、やっぱり自分のため、社会のために何かやりたいなって気持ちになりましたね。辞める前にあるきっかけがあって、この地域での活動が少しできそうな手応えを感じたんです。それが2000年。吉祥寺に3ヵ月だけ壊されるビルの一室でキスカフェというデザイン関係者が集まるスペースを運営したんですよ。それを機に中央線、もっと自分の住んでいる所の近くで仕事をしたいという気持ちが強くなりました。もう1つは、誰かに言われて、誰かの判断を仰ぐというやり方が嫌だったんですよ。僕は企画のプロデュースやディレクションをする立場だから、いろんなデザイナーたちと一緒にやっているんですけど、仕事の仕方としてクライアントから仕事をもらって、その仕事をやってお金をもらうのが嫌だなと思ったんです。最初の会社の大日本印刷は大企業がクライアント。会社案内とかPR誌、カレンダーを作って、その会社のためにやる仕事だったので、そこに戻るのは嫌だなと…。2番目のOZONEは施設の運営なので、予算を使ってどれだけ集客するか、どれだけ多くの人に伝えていくかが仕事でした。その2つじゃない仕事の仕方が良いと思って、考えたのがプロジェクトファームというプロジェクトを自ら主体的に作って育てていくという仕方でした。それでずっとやってきて、今は20くらいのプロジェクトがあるんですけど、メーカーとかが入った場合も対等に一緒になって、それぞれの役割の中で仕事をする。お金は利益が出るようになったらもらっていくような感じですね。持ち出しのプロジェクトも多くてお金を使い続けるだけみたいのもあるんですけど(笑)」
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梶野公園に到着です。冬の芝も良いですね、思わず大の字の2人。

梶野公園に到着です。冬の芝も良いですね、思わず大の字の2人。

そんな萩原さんが現在携わっている仕事の1つが武蔵境、小金井、国分寺、国立などの武蔵野エリアを元気にするプロジェクト。今、武蔵境の町は徐々に変わり始めています。駅には新しいライフスタイルを提案する「nonowa武蔵境」ができました。萩原さんは「nonowa」のエリアマガジン「ののわ」の編集長を務めていて、武蔵野エリアのこれからのライフスタイルを提案しています。自転車で立ち寄った「コウカシタ準備室」ではJR中央線の高架下に、新しい起業家をサポートしていく施設を準備中だそうです。そんな変わりつつある武蔵境の象徴の1つが複合機能施設「武蔵野プレイス」。今回の対談も「武蔵野プレイス」内のカフェで食事をしながら行われました。カフェのスタッフから昼間はビールを提供していないと聞いた2人は残念そうにジンジャーエールを注文。実は、萩原さんと仕事相手の関係を語る上で1つのキーワードとなるのがお酒。その辺の話を伺ってみました。

萩原
「出会い方って結構重要だと思っていて、仕事で出会っちゃうと、そのまんまそれを引きずっちゃって仲良くなっても人間関係は仕事ベース。まず友達になってから仕事した方が良いと思い始めて、地方に行った時、まず飲み会みたいにデザイナーと飲みながらいっぱい話すんですよ。このやり方を続けてきたから今は割と仕事はしやすいんです。國時さんも『人間関係ができてないのに仕事するのは辛い』って言っていましたよね。それぞれやり方も違うし、お互いに気を遣っちゃうし、当然考え方も違う。そういう事ってなかなか仕事の中だけだと話せない。ざっくばらんに飲みながら話した後に仕事をすると、そういう話もできる。だから、知らないデザイナーには仕事を頼む事ができない。1回くらい会って良さそうだと思っても実際は違ったりするのが怖いんですよ。3回くらい飲みに行って、2人で飲みに行くくらいの関係、距離感にならないとダメですね」
國時
「デザイナーとの関わり方について訊きたいんですけど、OZONEを辞める前と辞めた直後、そして今では全然違ってきましたか?」
萩原
「もちろんOZONEの時は展覧会の関係で仕事をしていたから、僕をOZONEの人として見ていた人は離れて行ったし、やっぱり個人的に仲良くしていた人が繋がっていきましたね。辞めてからもいろんな人と出会う機会があるので、それで気が合って一緒にできる人とかと繋がっていく感じ。OZONEで出会った人と辞めてから出会った人は半々くらいになっているんじゃないですかね。年齢の事もあるんですよ。僕がOZONEにいた頃は同世代の30代のデザイナーとの付き合いでした。やっぱり30代くらいは僕みたいな存在が必要だし、一緒にやっていておもしろいかな。若いデザイナーはデザインできるけど、プロデュースまでは手が回らない人が多い。そうすると、僕みたいな人がいて、うまく見立てて、デザインだけできる環境を作る。でも、デザイナーもわかってくると、メーカーとの交渉も自分1人でできるようになって、僕みたいな存在もだんだん必要がなくなっていくんですよ。今は10年経って、一緒に仕事をしていた30代が40代になっちゃったので、もう1回30代を探しているところ。OZONEから数えると3サイクル目。デザイナーは30代が結構重要だと思うんですよね。30代で何をやったかで決まっちゃうから。40代からはそれをさらに深めたり広めたりという事をやっていく。だから30代の人を見ている事が多いですね」

様々なデザイン関係の仕事に携わっている萩原さん。その傍ら、全国各地の大学やイベントに呼ばれて講演活動も行っているそうです。講演で慣れているのか、とにかく話し出したら止まらない萩原さん。國時が1つ質問をすると、それに対してずっと喋り続けるという感じで、とても話し好きで社交的な印象を受けましたが…。この後、お酒の話題から萩原さんは人見知り、人前で話す事が苦手だったという意外な一面を明かしてくれました。

人見知りは結局知っている人がいっぱい増えないと生きていけない

國時
「萩原さんはお酒を飲むこと自体が好きじゃないですか?」
萩原
「飲むのが好きって言うけど、人見知りなので飲まないと話ができないんですよ。20代の時なんて酷くて、緊張して、こういう風に食事もできなかった(笑)。それくらい人見知りで、2人で飲みに行ってやっと話せるような感じだったんですよ。人見知りが生き残る戦略っていうのがあって、人見知りは結局知っている人がいっぱい増えないと生きていけない。だからこそ知っている人を増やすんです。知っている人とは話ができるわけだから(笑)。でも、今も知っている人としか話せないから展覧会のオープニングとかはすごく苦手。本当は社交的にもっと知らない人に声かけたりしないといけないんだけど…」
コウカシタ準備室の、皆さんとパチリ。

コウカシタ準備室の、皆さんとパチリ。

武蔵境駅のほど近く「コヒーロースト」にてコーヒー豆を購入。 焙煎が出来上がるまで、のんびりトーク。

武蔵境駅のほど近く「コヒーロースト」にてコーヒー豆を購入。
焙煎が出来上がるまで、のんびりトーク。

國時
「講演で大勢の人の前で話すのは大丈夫なんですか?」
萩原
「もう慣れましたね。いつの間にか大丈夫になりました。OZONEでセミナーや展覧会の企画でどうしても話す機会があるじゃないですか。司会、進行をやらないといけない時、最初の頃は緊張して前日からご飯も食べられないくらいでした。でも、慣れって怖くて、少なくとも苦にはならなくなりましたね。大学とかに教えに行くと、自分はこうだったけど、仕事でやる内にできるようになったって話がしやすくて…。文章も苦手だったけど、9坪ハウスを建てて本を一冊書いた時に『何だ、書きたい事があれば書けるんだ』ってわかったんですよ」
ご自宅のスミレアオイハウス前にて。

ご自宅のスミレアオイハウス前にて。

昼間に行われた今回の対談。自転車のおかげで行動範囲がグッと広がり、武蔵境から東小金井まで、約1時間かけてのんびりと見て回る事ができました。國時も「これまでで一番、途中下車の旅っぽいかも」と自転車での町巡りを満喫。そして対談の方も盛り上がり、気が付けば終わりの時間が迫っていました。最後に國時はこれからの仕事について訊ねました。約10年というサイクルで仕事に変化が起きている萩原さん。大日本印刷、OZONEにそれぞれ10年くらい勤めていました。そして今年はフリーで仕事を始めて10年目の節目。新たな10年が始動する今年は萩原さんの生活に大きな変化があるみたいです。

学校を作りたいくらいの気持ちなんです

國時
「今後の10年、何をやろうとか考えているんですか?」
萩原
「そうですね、いろいろあります」
テラトテラでもお世話になっている「武蔵野プレイス」でランチ。なんとも素敵な場所!こんな場所が近くにあったらと思うとご近所の方が羨ましい。

テラトテラでもお世話になっている「武蔵野プレイス」でランチ。なんとも素敵な場所!こんな場所が近くにあったらと思うとご近所の方が羨ましい。

國時
「そういう話って奥さんと話されるんですか?」
萩原
「全然しないです(笑)。僕は大学の時に教職を取ったくらい教育みたいな事に昔から興味があって…。自分が教えるというよりも学ぶ場所を作りたい、学校を作りたいくらいの気持ちなんです。つくし文具店でやっている「ちいさなデザイン教室」もそうだし、国立本店の「ほんとまち編集室」っていう仕組みもそうだし、自分たちが自主的に学び、活動できるような場所をいっぱい作りたいと思っているんですよ。学校では一方的に知識を教えたり、表面的だったりする事が多い。だから本音で話す場を作りたい。「ちいさなデザイン教室」では、20歳の学生から60歳以上の定年後の人まで、40歳以上年齢の幅がある多様な考え方の人たちがデザインで共有して集まってくる。それはすごく面白くて、そういう場をもっと作っていきたいですね」
國時
「それがこれからの10年のキーワードになっていくんですかね」
萩原
「一方的に教わるのは嫌なんですよ。自分から主体的になって学ぶ場をもっといっぱい作る必要があるんじゃないかって。実は今年4月から明星大学で教える事になったんですよ。その大学が新しくデザイン学部、学科を作るんです。表現だけのデザインじゃなく企画プロデュースもできるような人たちを育てたいというのがあって、ひょんな事からそんな話になって…。明星大学は日野にあって、多摩エリアの地域に根差した学校にしていきたいと…。美大じゃなく一般大学なので、それは面白いかなって思っているんです」
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20代のように精力的な萩原さんはやりたい事が多過ぎて時間が足りない様子。書ききれませんでしたが、地方のモノ作りと多摩エリアのデザイナーを繋げようとしている事など、今後やりたい事をいろいろ話してくれました。そして4月から専任として明星大学で教鞭を執る事も明かしてくれた萩原さん。話を聞いていて、萩原さんは学ぶ事の楽しさを教えてくれる講師になりそうな気がしました。そんな萩原さんが提案するデザインの魅力に触れたい人は萩原さんが拠点としている「つくし文具店」「国立本店」「西荻紙店」にぜひ立ち寄ってみて下さい。きっと楽しい時間が過ごせるはずです。

TEXT:下田和孝

萩原修(はぎわらしゅう)・デザインディレクター

1961年生まれ。東京国分寺市育ち。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大日本印刷株式会社で約10年、リビングデザインセンターOZONEで約10年働く。2004年に独立。日用品、住宅、店舗、展覧会、展示会、イベント、コンペ、書籍、雑誌、ウェッブサイトなどの企画、編集、プロデュース、ディレクションをてがける。また、「コド・モノ・コト」「かみの工作所」「てぬコレ」「かみみの」「3120」「モノプリ」「中央線デザインネットワーク」「国立本店」「西荻紙店」「カンケイデザイン研究所」など独自のプロジェクトを推進。「旭川木工コミュニティキャンプ」「クラフト・センター・ジャパン」「東京にしがわ大学」「ののわ」「たまら・び」などにも参加。名古屋芸術大学、武蔵野美術大学、東京工芸大学、大同大学、桑沢デザイン研究所、バンタンデザイン研究所などで講演や客員教授、非常勤講師などをつとめる。著書に「9坪の家」「オリジンズ」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」がある。2005年には実家のあとを継ぎ「つくし文具店」店主。2014年からは、明星大学デザイン学部教授。

今回おじゃましたお店

武蔵野プレイス|公共施設
武蔵野市境南町2丁目3番18号
0422-30-1905
開館時間:9:30~22:00
休館日:毎週水曜日(第3金曜日の属する週の水曜日と祝日と重なる水曜日は開館。)、毎月第3金曜日、年末年始、図書特別整理日

コーヒーロースト|コーヒー専門店
武蔵野市境南町3丁目1番5号
0422-30-1905
営業時間:11:00~19:00(金曜日15:00~19:00)火曜定休

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